各務 里音
窓から入ってくるオレンジ色の光に当たって、小さな白い粒がフワフワと浮いているのがよく見える。すごく幻想的に見えるし、朝に見る粉雪みたいできれいなんだけど……。
「……、これってただのホコリなんだよね」
「はっ、くしゅん!」
「大丈夫お母さん? それもう十回目のくしゃみだけど」
「もー、マスクしてるのに何でかしら。嫌になっちゃうわ」
よく晴れた七月の夕方。しばらく掃除されていなかったらしい部屋の真ん中にしゃがみこんで、小さなモップを右へ左へ。フワフワしていた毛がゴワゴワになるまで茶色の床を軽くふいたら、今度は壁際に積まれている段ボールを一つ、落とさないようよいしょっと持ち上げる。ゆっくり慎重に床に下ろし、落とさなかったことにホッとして背伸びをした。
今わたしは家の中にある第二の物置の整とんをしている。きっかけはわたしが夏休みに入ることで、今日の午前に修了式が終わり、長い長い休みに入ったから。何で年の終わりじゃなくて今なのかわたしも不思議に思うけど、お母さんの突拍子もない行動はもういつものこと。今日は親友が泊まりに来るんだけど、うっかり忘れてないよね?
さっき下ろした段ボールを開けて中身を見てみると、見覚えのある絵本がぎゅっと仕まわれていた。こうやってまた見つけるまですっかり忘れていたけど、わたしが小説を読むようになったから お母さんが片付けたんだろうなー。懐かしいことを思い出しつつ、手に取ったお月見の絵本をしまい、ふたをしなおして部屋のすみに持っていく。
段ボールを置いた隣に大きなビニール袋に入った物を見つけた。パッと見では何か分からなくて、チラッと袋を開けてのぞいてみると、大きな傘の布のようなものがあった。
「これ、何だっけ、テント? いつ使ったの?」
「それはー、アリサが五歳の時だから、五年くらい前に使ったー、かしら」
「すっごくあいまい……」
「あら~? そう言うアリちゃんは覚えてないじゃない」
「むー」
ニコニコとこっちを見てくるお母さん。しょうがないじゃん、小さい頃のことだもん。そっぽ向いて、適当に積まれた段ボールとか昔のおもちゃとかを床に並べて置いていく。ここはわたしの部屋の直ぐ隣の部屋なんだけど、半分はわたしの部屋の延長で、去年の教科書とか 習字道具とか、今すぐに使う訳じゃないけれど必要なものがしまってある。
もう半分はミニ物置になっていて、テントやおもちゃとかそういう壊したくない趣味のモノが多くしまい込まれてる感じ。
雑巾でホコリをササッと払う。これ一昨日学校でもやったんだけどなぁ、なぁんてその時のことを思い出してると、後ろからガタッと何か落とした音がした。また何か落としたんだろうなぁ。
「やだー壊れて無いかしら? あら、これずいぶん前にパパが持ってきた望遠鏡じゃない。 アリサアリサ、これ見て」
「どれ? これ?」
伸ばした両手にグッと重みが乗っかる。渡されたものは細かい傷がいくつもついた木のつつに、縁がくすんでいるレンズのついた、ちょっと古い感じのする変な望遠鏡。落としたのはこれだったみたい、こんなのあったんだ。くるくる回しながら見ていると、後ろから突然アッと大きな声。
「どうかした?」
「やだ! もう晩ご飯の時間じゃない。ちょっとそのままにしておいて、また明日片付けるから!」
「はーい」
バタバタ大慌てで立ち上がったお母さん。わたしとおそろいのフワッとした金髪がきれいだけど、いくつかホコリがついてるよ、まあ言わないけどね。階段を降りていく音が聞こえなくなって、さぁてどうしようかなーと悩みの種に目を向ける。
ホイホイと取り出されたたくさんの物が積まれて、山になってるそれ。このまま置いといていいのかな……、結構みっともないけど、まあいいか。今日明日で来るのはあの子だけだし、つまずいたりくずれたりしないようにして、後は彼女が興味を持って突撃したりしなければまぁ大丈夫、うん。 山はひとまず置いておいて、わたしは隣の部屋に戻った。
ピンポーンとチャイムの音が聞こえる。あれもうそんな時間?! 時計を見るともう六時になりかけていた。ポップな曲が流れるゲーム機を置いて、スリッパが脱げないように気を付けながら急いで階段を降りて玄関まで行く。
お母さんもわたしが出迎えに行くって分かってるから、まだ台所の方でジュージュー音を鳴らしてる。おいしそうないい匂い。もう一度ピンポーンとチャイムが鳴る中、スリッパからサンダルにはき替えて玄関トビラを開けた。
「おっ、やっほーアリサ。来たよー」
「いらっしゃい澪。まってたよ」
トビラの向こうにいたのは、今日お泊まり会の約束をしていた、親友の鳴海澪。わたしがこの島に引っ越して来てお隣さんになった時からの付き合いで、わたしが気を許せる数少ない一人。ショートヘアーだけど、顔の横だけちょっと長めの三つ編みという変わった髪型をしている。
「おじゃましまーす。あ、これお土産。おばさんは?」
「キッチンにいる。今日はハンバーグだって」
「え! ホント! 楽しみ!」
「そろそろできると思うから、行こう」
スリッパをはいた澪の手を引いて、キッチンに行く。楽しそうな澪を見てわたしも楽しくなってきた。さて、おいしいご飯を食べたら、次は何をしようかな。
いつもは階段がある方の壁際にあるベッドで寝てるんだけど、今日は別。澪が泊まりに来るときだけ、部屋の真ん中にちょっと大きいふとんを出している。そうすれば、遊びやすいし落ちる心配もないもんね。ちょっと大きめのふとんの横に低い机を持ってきて、アイスを前に並んで座る。
「夏のお風呂って、ゆでられてるエビの気分がよく分かるわ」
「……それはタコじゃないの? あつ……、早くアイス食べよう?」
「私ソーダにする。アリサは?」
「バニラ一択、はいスプーン」
カップのアイスについていた木のスプーンを澪に渡す。ふだん使うスプーンと違って、これで食べると木の味も一緒にするのが面白い。いただきますをして、ちょっと溶けたアイスを一口。冷たい甘さがすごくおいしい!
チラリと隣をのぞいてみると、にっこにこの澪がアイスを縁から削って丸いドームを作っていた。何か面白い食べ方してる、わたしもやろう。
「あ~しみるぅ~」
「おじさんみたい」
「ひどくない? そうだアリサ、食べ終わったらゲームを手伝ってくれる?」
「昨日言ってたリズムゲームでしょ。いいけど、わたし初心者よ」
つい最近澪に勧められて始めた、太鼓が主人公のこのゲーム、基本操作が「ドン」と「カッ」だけだから、リズムゲームを初めてやるわたしでも遊びやすい。簡単モードしかまだできないけど、少しずつ上達している……はず。いろんなゲームを教えてもらっているけれど、今のところ一番わたしに合っているかも。
「問題ないわ! 簡単な曲を一緒にやってくれるだけでいいから。そんでもって、いつかめちゃむず曲を一緒にやりたい」
「それはちょっと時間かかる。先にこっちを教えて、なぞときが分からなくて進めないの」
「ああそこはねぇ……」
アイスを食べる合間あいまに話をしていたのだけど、最初はゲームの話をしていたのはずなのに、どこでどうねじれたのか、いつの間にか今日の倉庫掃除の話題に移り変わっていた。
澪のところも先週に色々と掃除整とんをしていたみたいで、収納ボックスを倒して中身をぶちまけたとか、忘れたかった昔の絵日記を見つけたとか。小さなことでもお泊まり効果なのか面白く思えて、二人でたくさん笑ってしまった。
「そういえば、それどうしたの? 前来た時はなかったよね?」
「これ? 今日そこの隣の部屋の掃除してて見つけた。前にお父さんがもらってきたんだって」
わたしに天体観測なんて趣味はないのに、なんでか気になって部屋まで持ってきたそれ。机の端っこに置いていた望遠鏡を手にとって澪に渡した。おぉー! 何て興味深そうにレンズをのぞい後 ベランダに歩いていく。わたしも着いていって、カギを開けて大きなガラス窓を半分開いた。身をのり出した澪は、メガネに当たらないようそっと望遠鏡をかまえて月を見る。
わたしには、澪の見ているものがどんなものなのか分からない。月を見ていることは分かっても、わたしとは違う視点で見てるだろうし。澪にはきっと、魅力的にかがやく月が見えてるんだろうな
「何か見える?」
「んー? 大きくてきれいな月が見えるわ! ずっと見てたいくらい。アリサも見てみる?」
「うん、見てみる」
姿勢を戻して渡された望遠鏡を持って、同じように身をのり出す。初めて望遠鏡で月を見たけど、写真で見るよりずっときれい。でもずっと見ていたいほどではないかな、やっぱり。
ベランダの窓を閉めてふとんに戻って座り込む。望遠鏡を机に置いて、食べ終わったアイスの カップを重ねて机のはしによせてから、氷が小さくなったジュースを飲んだ。氷が溶けてるせいで味がちょっとうすい。もっと速く飲みきっとけばよかったなぁ。澪も飲みきったみたいだから、後でおかわりしてこよう。
「月っていいなー! ロマンがある!」
「……んー、澪」
「なにー?」
「望遠鏡、持ってく?」
彼女にそう提案してみると、驚いて目を見開いてわたしを見つめてくる。言葉にしてなくても 分かる。いいの!? え!? って考えてる顔ね。
「まぁお母さんとお父さんに聞いてからだけど。わたしは宇宙にあんまり興味ないし、お母さんも同じ。お父さんも、もらったから持ってただけだと思うし」
「いいのかな、貸してもらうだけでも十分うれしいんだけど……」
「使わないのにとっておいてもね……。それに、宇宙だけじゃなくて海の方にもつかえるかも」
「はっ! 砂浜からも沖を見ることができる!?」
「かもしれない、ね」
あくまでも可能性の話、わたしは試したことがないからね。でも遠くのものを大きく見ることができるなら、澪はよろこんで海を見るのに使いそうな気がする。
「ありがとうアリサ。わたしの好きなことをわかっててくれて!」
「別に……、親友の好きなものを、わたしも知りたいって思うのは……」
なんか気恥ずかしい……よし、コップのジュースがなくなったことを理由に澪から一旦離れよう。
立ち上がった時にうっかりひざが机に当たって、机がガタッて音をたてる。その拍子に、机に置いていた望遠鏡がコロコロ転がって机から落ちた。わたしも澪もとっさに手を伸ばしたんだけど、あとちょっと届かなかったわ。
「わっ! 大丈夫!?」
「下がカーペットだから、大丈夫だとは思うけど、すでにさっきお母さんが落としてたから……」
落ちた望遠鏡を拾ってレンズが取れていないか見てみたけれど、ちゃんとはまっていた。窓ごしに望遠鏡で月を見ると、さっきと同じで大きくはっきり見える。よかった、壊れてはいないみたい。ほっとして、壊れてないよって澪に伝えようと彼女の方を向くと、しゃがみこんで何かをじっと見つめていた。
「? なに見てるの」
「これがねー望遠鏡から出てきたのよ、たぶん」
「たぶん?」
ほらこれ、といって澪に渡されたのは、望遠鏡についているレンズ……、のようなもの。でも さっき確認した時にちゃんとレンズははまってた。じゃあこれは何?
「望遠鏡のレンズはとれてなかった。じゃあこれは、どこから出てきたの?」
「アリサ、私にも見してー」
「ん、はい」
澪に望遠鏡を渡して、彼女にも確認してもらったけれど変わりはなく、結局どこから出てきたのかは分からなかった。
それなら、出てきたレンズの方を見てみようって澪に提案されて、二人でレンズをのぞき込んだ。
顔に近づけてのぞいたレンズは、縁が少し欠けていたり、面がうっすらくすんでいたりときれいとは言えない感じ。
「あれ、このガラス、縁になんか線で模様が入ってる? それになんか変」
「メガネみたいに歪んで見えるし、レンズじゃない?」
そう言って、澪はレンズ越しに部屋をゆっくりと見回している。メガネをつけたまんまだけど、 見えるのかな。それにしても、なんであんなところに入ってたんだろう。
「そっか。これって、元からついてたのかな、それとも後から入れたのかな」
「最初からじゃない? でも後から入れた説の方がロマンが……。やっぱり私は後から入れた方に」
「ロマンで決めるのね」
何て澪らしい答え。わたしは得体の知れないものは怖いし、元から入っていた予備のレンズだといいなって思ってるんだけど……、買った本人、お父さんに聞いてみたら分かるかもしれない、明日聞いてみよう。一通り見終わったらしく、澪がレンズを返してくる。
「ねぇ、これで月見てみない?」
「つき? なんで? これだとメガネで見るのと変わらないんじゃない?」
「でもほら、隠されてるっぽかったし、何か秘密があるのかも!」
「ひみつー? そんなものあるかな」
いたってふつうのレンズに見えるけど……。ウキウキしている澪の隣から、わたしもちょっと身を乗り出してのぞく。
写真で見るような大きな月がガラスに映って──、目の前が真っ白になった。
《???の月》
目の前の光景を信じられない。胸からドキドキと音が鳴るせいで、周りの音が聞こえない。 頭が回らない。背中が冷たい。逃げてしまいたくて、動こうと足に力を入れても、棒のように立ったままで動かすことさえできない。どうしよう、どうすればいい?
左手に温もりを感じてはっとする。視線を向けると、そこには離さないというように、両手で繋がれたわたしの左手があった。少しずつ腕をたどるように顔をあげると、ほほえんでわたしを見ている澪。彼女は手に力を入れて、わたしの手をギュッとにぎる。
「私はここにいるよ、ほれほれ」
そう言って、彼女は手を上下に動かす。緊張が取れてきて、頭が回るようになった。
「……すぅ、はぁー……。ありがと、落ち着いた」
「あーよかったわ! アリサったら、石みたいにカチンコチンに固まってるわ顔色は海みたいだわで、ホントどうしようかと思ったわよ」
「なんかごめん、でも海みたいは大げさ」
「それくらい驚いたってことよ」
へにゃんとした顔で彼女は笑う。結構心配をかけちゃったみたい。わたしも少しだけど笑顔を作って彼女に向ける。
「ごめんね、アリサも巻き込んじゃって」
「ううん、いいよ。わたしも後でのぞいてたかもしれないから。ホント一人じゃなくて澪と一緒でよかった……」
望遠鏡にも月にも興味はあんまりない。それでも、絶対に今みたいに「このレンズで月をのぞく」ことをしないかというと……、うん。
わたしも澪も少しずつ落ち着いてきたから、そろそろちゃんと周りを見てみようかな。
パッと見で分かるのは、一面の白い凸凹の地面と頭上に広がる満天の星。それから、すっごく見覚えのある大きな大きな青い星。
「あれって地球だよね」
「間違いなく地球よ、あのきれいな青色と緑の模様は間違いないわ!」
写真とかテレビとかで見た。わたしが住んでいる地球。宇宙とか宇宙飛行士とかに興味の無かったわたしが本物か分からないとはいえ、こうやって目にすることができるなんて…… 何だか不思議。少しの間地球を見ていたんだけど、優しい青色のおかげかちょっと落ち着くことができた。
「どうやったら帰れるのかな……。もう一度レンズでのぞく?」
「可能性があるなら、とにかくやってみましょ!」
「うん」
澪とつないだ手に力を入れて、右手でにぎりしめていたレンズを空にかかげる。レンズに地球が 映っても……、何も変わらなかった。腕をおろしてレンズを見る。どうして……。
「これで来たのに、帰りはダメなんだ」
「どうすれば……こんなの、わけわかんない」
訳が分からないものは怖い。理解できないものが怖い。理由なんて分からないけど、昔からそう。下を向いてしまったわたしのほっぺに温かい手がふれた。
「ねぇ、帰る方法を探そ。それで、この月が何なのか、私たちで調べて決めちゃえばいいのよ。そうすれば訳の分からないものじゃないでしょ?」
「いくらなんでもおかしいよ、その理屈は。……でも、うん、澪が側にいてくれるなら、少し大丈夫かも。……わたしも、澪と一緒に楽しんでみたいし」
いつもわたしを引っ張り出してくれる彼女と一緒なら、わたしも恐怖を無くすことができるはず。でも、まだ頼らせてね。なんて言うと、彼女は笑って任せなさいって言ってくれた。
大きさがバラバラな白っぽい石がこの辺りにはたくさん落ちていて、わたし達はこれを使って目印を作ることにした。もし、最初に来たこの場所からじゃないと帰れない、なんてことになったら……。
転がっている大きな石を一つ手にとって、しゃがんだまま腕をぐっと伸ばして円を描く。自分を中心にして描いた円の中に、澪が集めてきてくれた石を二人で積み上げて目印は完成。周りの風景に溶け込んでしまっているけど、手を加えたからかちょっとだけども違和感はある。
「これ、小さすぎてあんまり意味ないかも」
「いいのいいの、こういうのは見つけにくくても作らないより作っといた方がいいんだから。見つけられる可能性が上がるなら十分よ」
「うん、そうだね」
「よし、行こう! あー何があるのかな? ワクワクしちゃう!」
熱いくらいの手に引かれて着いていく。心臓はまだドキドキしているけど、覚悟を決めてスリッパのまま、一歩足を踏み出した。
しばらく歩くと、視界の先に高さが一メートルくらいの壁が現れた。どこかで似たようなのを見た気がする。二人でこれっぽいな、といういろんなものを出してみて思い当たったのは、社会の教科書で見た火山のカルデラ。あれの縁? みたいな感じっぽい。
「これの壁沿いに進んでみましょ! 何もないところを歩き続けるよりいいわ」
「分かった」
壁が左側に来るように歩き始めて十数分。夏休みにやりたいことを言い終わって、ゲームの話をしている途中のこと、壁が途切れている所を見つけた。一度壁から離れて見て分かったことは、左側の壁が右側の壁の内側に入り込んでいること。
「これあれね、丸く書いた円の一部に切れ込み入れて、無理やり渦巻きにしたみたい。ほらあれ、迷路みたいなさ」
外側の壁と内側の壁の間には、人が三人並んで通れるくらいの道ができていた。外側の壁に沿って緩いカーブになっているらしく、わたし達の目線じゃあこの先は壁しか見えない。先に進んでいくと今度は穏やかな下り坂にもなっていて、内側の壁もそれに合わせるように低くなっている。頭上からの星明かりでぼんやり明るい道をわたしと澪は歩き始めた。
「このまま進むと……、このカルデラっぽいところの底に着くのかな?」
「……何もないといいけど。それにしても、ここスリッパ脱げそう」
「くつを持ってこれたらよかったのにねー」
澪、緊張感が全く無いな……、よしこのまましゃべり倒してもらおう。そうすれば落ち着く気がする。澪の声をBGMにしながらゆっくり先へ進む。
「ねぇ、何か聞こえない?」
「えっ?」
耳をすませる澪に習って、、わたしも耳に手を当ててみる。シーンとした空気に、サーッと静かな風の音。その中に、小さいけれど確かに声のような音が聞こえたような気がした。
「……、ホントだ。声? かな、聞こえる」
「何か楽しそうじゃない? ちょっとだけ! ちょっとだけのぞいてみない? もしかしたら帰る方法が分かるかもしれないしさ」
あ、澪の興味スイッチが入った、これはわたしじゃ止められない。まぁ聞こえる声も楽しそうだし、大丈夫よね……。
「すぅー……はぁー……。いいよ、行こう」
「ゴメンありがとうアリサ!」
「ん、危なそうなら引き返すから」
先に進むにつれて賑やかな声も聞こえるようになってきた。この先には一体何があるんだろう。
坂を下り始めてから、体感で二十分くらい。ようやく平坦な地面が見えてきた。聞こえる声はもうはっきりと聴こえてきていて、会話を聞く限り、どうも市場の近くらしい。
「さっき、だんごって単語が聞こえたんだけど」
「そういえばさっきから言葉が理解できてるんだよねー。理解できない未知の言語が出てくると思ってたから、安心はしたけど」
「こんな場所でしっかり言葉が分かるのって、逆に不気味じゃない?」
「そうかな?」
もう少しで下りきるというところで……、突然目線が大きく下がった。地面近く、うつ伏せで寝てるときみたいな視界になって、でも自分は立ったままで……。また固まってしまいそうになったとき、すぐ隣からいつもより大きな澪の興奮した声と、軽い何かが跳び跳ねる音がした。
「わぁーー! 見てみてアリサ! 私達ウサギになってるわ! ウサギのジャンプ力ってすごいのね、それに音も大きく聞こえるし、体中ふっわふわ!」
「み、みお。ウサギって…………」
おかしいな、澪がいたところに元気に跳び跳ねる茶色いウサギがいるんだけど。でもこの はしゃぎっぷりは間違いなく澪だし。
「ねぇちょっと」
声をかけて手を上げたときに、ようやく自分もウサギになってるんだってことに気づいた。フワフワな金色の毛に包まれた小さな手。夢、そうかこれは夢だ、うん。たとえ物に触った感触があろうともこれは夢、うん。
「アリサアリサ! 先に進んでみましょ」
「いや、澪もちょっとは動揺してよ! どんなメンタルしてるのホント」
「えぇー何事も楽しまなきゃそんだもん。ほらほら、ウサギになるなんてめっっったにないことなんだから、アリサも一緒にさ、ちょっとは楽しんじゃいなよ!」
「んあぁー……、そう、ね」
勢いがすごい。でもそれのおかげで仲良くなったからなぁ、引っ張ってもらってる以上澪には一生敵わない気がする。
《月ウサギの里》
どこかで見たような景色が広がっている。何だったかな、あぁそうだ。お祭りに行った時に見たんだ。いろんなお店がずらっと並ぶ道、あれに似てる。ただ目の前に広がるお店は石と植物で作られているんだけども。さらに言うと、人じゃなくてウサギしかいないけど。
「ウサギがいっぱい! 月にはウサギって思ってたけど、本当にいるなんて!」
「わたし達がウサギになったのって、そういうこと……?」
確かに、人の姿の時にここにはいるのはちょっとためらうけど、でも事前に教えてほしかった。 立て看板でも付けとこうかしら。
いつまでも入り口にいる訳にはいかないから、澪についてにぎやかな人波……ウサギ波? の中に入っていく。アニメみたいな二足歩行で歩いているウサギ達は、前足……手を器用に使って物を触ったり持ったりしていて、何だか人と似ているような気がする。試しに澪の手を取って見たけど、人間の手と全然違うからちょっとは慣れておいた方がよさそう。
「みんなアクセサリーとかマフラーとか、なにか一つは身に付けてるっぽいね?」
周りにはたくさんの色んな格好のウサギ達がいて、和気あいあいとしている。垂れ耳に白色に黒色。大きいのもいれば小さいのもいて、イヤリングを付けていたり、ネックレスをしていたり、髪飾りを付けていたり。
「ほんとだ。わたし達もなにか付けた方がいいのかな」
「私はメガネしてるし、アリサも首もとにリボンついてるから、大丈夫でしょー」
澪の顔には、どうなってるのかさっぱり分からないけどメガネがかかっている。彼女のウサ耳は 立っているのに、どこに引っかかってるんだろう……。わたしには服に付いていた赤色のリボンが首もとに巻かれていて、わたしが動く度にふわふわとゆれている。
「お腹空いたなぁ」
「食べられそうなとこ探す? あ、でもお金がないか」
「ここのお金ってどうなるんだろうね」
屋台に置いてあるメニュー看板を見てみるけれど、値段がさっぱり分からない。近付いてもっとよく見てみると、おいしそうな三色だんごの絵の下あたりに、小さなススキの花かんむりの絵が描かれていた。
「お金っぽいのはこのススキのわっかかなぁ」
「うん、多分……。これって何円なんだろう」
「そもそも、五円とか十円みたいに区別あるのかしら? うーん気になるわー!」
「あ、こっちの大きい三色だんごの方は金色だ」
「ホント!? 小さい方は茶色だから、色で値段が決まってるのね」
他のメニューとかお店もパパっと軽く見てみた。どうもお金っぽいこれは、ふだんよく見る円と同じで、値段ごとに色が違うみたい。多分、金色が百円、銀色が五十円、銅色が十円……位だと思う、多分。
とはいえ、ここのお金が何か分かってもお金を持っているわけではないので、泣く泣くおいしそうなおだんごから目をそらして足を前に動かした。
色々見ながら歩いていると、茶色に垂れ耳のウサギが目の前を横切った。走っていったそのウサギは本来の四足歩行をしていて、ちゃんと四足歩行もするんだって分かってちょっと安心だわ。
走り去ったウサギから目の前の地面に目を向けると、紺色の地に星空のように白い星が描かれた ハンカチが落ちていた。落ちてた場所とタイミング的に、さっきの垂れ耳ウサギのものだと思う。
「これ、落とし物だよね。さっきのウサギの」
「だね。まだ追い付けるかもだし、聞き込みしながら追いかけよう!」
そんなこんなで、わたしと澪は近くのウサギ達に聞き込みしながらさっきのウサギを探した。
「すみません! これ落としましたよ!」
「えっ、あっ! 僕のスカーフ! すみません、拾ってくれてありがとうございます」
聞き込みの末に、訪ねウサギを見つけることができた。スカーフを彼に渡して、ついでにこれも聞いてみよう。このまま探しまわるよりは聞いた方が早い。と言うことで澪がスカーフのウサギに聞いてみる。
「どういたしまして。あの、ただでお水を飲めるところってありますか?」
「ん、それなら……、広場の井戸で飲めるけど」
「ほんとですか! ありがとうございます。じゃあアリサ、行こっか」
うんって返事しようとした、ちょうどその時。ぐぅー、っていう小さな音が聞こえた。澪の方を向くと彼女もこっちを見ていて、見つめ合う感じに。どうしよう、お腹が空いてきた。さっきのおだんごおいしそうだったなぁ。
「ふふ、スカーフを届けてくれたお礼に、よかったら家に来ませんか? ちょうどおやつを 食べようと思っていたところなんですよ」
「えっ、いいんですか?」
どうしようか、知らない人には着いていっちゃダメなんだけど、澪は行くみたい。とりあえず着いていくことになって、スカーフのウサギが先を歩く後ろで澪に大丈夫なのか聞いてみた。澪が言うには、この場所について聞いてみるためらしい。あと直感でこのウサギは大丈夫だって思ったんだって。感かぁ……。
商店街みたいにお店が並んでる場所を通り抜けて、高い高い岩壁まで歩いてきた。この壁は地面に空いた大穴の端の壁なんだろうな。壁には間をあけてずらーっと穴が空いている。それから、多くの穴にはのれんみたいに布がはってあった。この穴はなんなんだろう。キョロキョロ周りを見ていると、布をめくって中からウサギが出てきた。
「ここが僕の家だよ、ささ、入って入って」
「なるほど、この空いた穴がウサギ達の家で、マンションとかアパートみたいに部屋が並んでるのね……。面白いわ!」
「あ、そういうことなんだ」
壁が穴だらけだからなにかあったのかと思ったわ。この穴の数だけ、ううん、それ以上にウサギが住んでいるのね。彼について布の向こうの穴に入ると、足元がざらざらした砂からやわらかい草に変わっていた。よく見ると、ススキかな? それがきれいに編まれてカーペットみたいにしいてある。
入り口すぐのろう下を通ると、中には石をけずって作ったような机とか、大きな綿のクッションとかいろんな物があるけれど、どれもわたしの家にあるのと似ているようでちょっと 似てない。なんだっけ、材質が違うって言うのかな。
「ここに座って待ってて、すぐ持ってくるから」
奥にまた穴が空いていて、ウサギさんはその奥に入っていった。多分だけど、他の部屋がまだ奥にあるんだとおもう。
「すごいね! 月のウサギさん達の家ってこんな感じなんだ!」
「こういうの、初めて見る」
「お待たせ。はいこれ、近所のだんご屋名物ススキだんご。おいしいよ」
「「ありがとうございます」」
並んで座るわたし達の前にウサギさんが座る。出されたのは、大きな葉っぱのお皿に乗せられた、白っぽい黄色の大きなおだんご。ウサギの手よりも少し大きいそれは、これ一個で三色だんご一本分くらいある。匂いは……あんまりしない? のかな。
いただきますをしてから澪といっしょにまずは一口。モチモチの生地からほんのり甘い味が口いっぱいに広がった。
「おいしー!」
「! おいしい」
「それならよかった。っと、そういえば自己紹介してなかったね。僕はバロン、年は……たぶん君たちよりニ、三くらい年上かな?」
「あれ? 私達が十歳だから、バロンさんもまだ子ども?」
「そうだよ」
大人のウサギかと思ってたんだけど、年の近いお兄さんだったんだ。わたしと澪も自己紹介をしたところ、友達みたいに話してほしいって言われて、話し方を変えることにした。
「ねぇ、ここって何て言うところなの? 見る限りウサギしかいないんだけど……他の生き物っている?」
「うん? ああ、君たち外から来たんだね。ここは「ウサギの里」 月ウサギが住む里だよ」
「ウサギの里」……。絵本とかの物語で出てきそう。こうやって名前を聞くと、ここが夢なのか現実なのか分からなくなる。今のわたしもこの場所も、バロンも……。半分以上減っただんごをまたかじる。
澪が里のお店とか色々と聞いている間に、残りのだんごを食べていく。そういえば、このだんごはススキみたいな色だからススキだんごらしいわ。ススキが使われているわけではないのね……。
二人はもう仲良くなったみたいで、面倒見がいいのかな、バロンはここのことをなにも知らないわたし達のことを受け入れてくれてる。なんで? みたいに聞かれてたら、怪しまれてたらどうしよ うって思ってたからちょっとほっとした。
「今さらなんだけど……、いっしょに住んでる人、じゃなくてウサギの迷惑になってないかな。大丈夫かな?」
「ふふ、大丈夫だよ。あの子は今外出中だからね。人見知りなだけだし同じくらいの年だからさ」
「……そうかな?」
引っかかりはあるけどまぁいいか。最後の一口をゆっくり食べて、手を合わせてごちそうさま。澪が食べ終わったところで、バロンが皿を片付けに行った。
「おいしかったわね! 水の場所も教えてもらったし、里でのお金のかせぎ方も教えてもらえたし」
「え、いつの間に」
「ふふーん! えっとね、お手伝いを募集しているところがあるから、そこに行くといいんだって。里の中央辺りにあるそうよ」
「そっか……。聞いてくれてありがとう」
「どういたしまして! こういうのは私にまかせなさいな!」
笑顔で手をぐっとにぎる……、わたしもしっかりしないと。リボンと首の間にはさんで持っていたレンズを取り出す。もっとよく見てみたら、なにか分かるかも。バロンに聞いてみるのもいいかもしれない。
「模様に何かかくれてないかな」
レンズの模様は黒色で、日本語でもなければアルファベットでもない。スマホで調べてから来れればよかったかも、せめて似ている文字を探したりとかね。
さっきみたいにすぐ戻ってくるかと思ったけれど、待っていても彼はまだ戻ってこない。慣れないウサギの耳を気にしつつ、何かあったのかなって心配していると、奥から大きな紙を持って戻ってきた。
「待たせちゃってごめんね、って……それ……」
バロンはわたしが持っているレンズを見て、難しい顔をしながら首をかしげた。不思議に思いつつ、近づいて来る彼に澪が声をかける。
「大丈夫だったのね、遅かったから、何かあったのかと心配しちゃった」
「心配してくれてありがとう。片付け忘れてたものも一緒に片付けてたら、思いの外時間がかかっ ちゃって……、ごめんね」
「ついついやっちゃうやつね。よくあるよくある」
「澪のそれは、ただの好奇心によるよそ見よね」
「アリサもやらない? 時間を忘れるわよ」
わたしはそこまで好奇心強くないから無理だと思う。何となく視線を感じてバロンの方を向くと、暖かい目で見守られていた。なんかちょっとはずかしい……。
「仲いいねぇ……。あ、そうだ二人とも、ちょっと聞きたいんだけど……、さっき持ってたのを見せてもらえないかな?」
「うん? それってこれのことー?」
澪がレンズを指差すと、彼はそれそれ、とうなずいた。わたしはおそるおそるレンズを差し出す。バロンは何か知っているのかな……。
「……、これ、やっぱり……」
床に座ってレンズをじっと見つめた彼は、驚いているような顔で小さくつぶやいた。これはもしかして……。澪の方を見るとちょうど彼女もこっち見ていて、期待とワクワクを込めた目になっている。
「これのこと、何か知ってるの?」
「……ちょっと待っててね、とってくる」
「とってくる?」
サッと立ち上がって、部屋の収納ダンスの引き出しを開けた。石でできた部屋と違って、木材で作られたそこから取り出されたものは、わたしが持っているレンズと似た透明な板。
あっ、と思わず声をこぼすと、バロンは少し笑って手に持ったそれをわたしに差し出した。受け 取っていいのか一瞬迷って、そっと受け取る。ガラスはレンズのようにわたしの手を歪んで映した。のぞき込んできた澪にも見えやすいようにして、二枚のガラスを見比べてみる。
「……同じ? かな」
「うん、手書きみたいだから分かりにくいけど、模様も同じだね!」
「そっか……、えっと、バロン、これについて何か知ってるの?」
貸してもらったレンズを返して、バロンに聞く。耳をゆらして悩んでいるような顔をした彼は、少し経ってから答えを教えてくれた。
「うーん、僕もこれが何なのか詳しいことは分からないんだよね……。ねぇ、もしかしてこれに関係する悩み、というか出来事みたいなことがあったの?」
「うん、実は……」
わたし達がレンズを見つけたところから今までのことを話すと、彼はまた耳を動かしながらうーんと頭をひねる。
「君たちは地球から来たニンゲンで、来ちゃった原因はこのレンズ。帰りたいけど方法が分からなくてここに来た。帰り方を知りたいってことでいいんだね」
「そう! 同じレンズを持ってるなら、何かちょっとでも情報ないかな?」
「そうだね……。僕も詳しくは知らない、そんな力があるなんて思わなかったよ……」
「んー、手がかりはなしかー……!」
「……、バロンは、わたし達のことを疑ったりしないの?」
違う星? 世界? から来たわたし達のことを、彼は全然疑っていない。ふつうだったら、こんな話信じてもらえないのに。少なくとも、わたしはいきなりこんなことを言われてもウソだと思うでしょうね。
きょとんとした顔でわたしを見てくる彼。わたしの疑問に答えようとしてくれたその時、ウサギの耳がバサリと言う音を拾った。この音は、入り口ののれんがめくれた音?
「あ、帰ってきたかな」
「え? あぁ、一緒に住んでるウサギさんか」
サクサクとだんだん近づいてくる足音に、胸がドキドキと音を鳴らしている。澪とバロンが楽しそうに話をしている中、わたしは澪の手ををちょっとつかませてもらって足音の主を待つ。
「あ、コープ、お帰り」
「ただいま……。……、だれ?」
きれいな黒い毛にピンと立った耳。画面越しじゃない、初めて見る黒ウサギをついじっと見つめていると、つりぎみの青い目と目があった。肩がビクッとはねてとっさに顔をそらしたけれど、絶対見てたのばれてる! どうしよう……、変に思われたかな……。
「澪ちゃんとアリサちゃんだよ、さっき仲良くなったんだ」
「はじめまして! 鳴海澪です!」
「あ、アリサ。今野アリサ、です」
「コープ、です」
わたしと黒ウサギ……コープの自己紹介はぎこちないものだったけど、なんとか四人……四匹? で自己紹介をしてコープもバロンのとなりに座った。てっきり奥の部屋に行くのかと思ったけれど、ここに残るみたい。
「帰ってきて早々ごめんね、このレンズのことについて聞きたくて……」
「レンズ? あぁ、いいけど……、オレも気づいたら持ってたくらいだぞ?」
「あれ? バロンのじゃなかったんだ」
「実はそうなんだよね」
バロンが持ってきたレンズはコープが拾ったもので、拾った本人であるコープも何となく持っていたとのこと。
同じレンズを持ってたし、思いきって彼にもわたし達の事情を伝えてレンズを拾ったときの違和感とか聞いてみた。……んだけど、やっぱりわからないらしい。
「ごめんね、力になれなくて。でもコープは君達と同じニンゲンだから、僕より話しやすいかもね」
「え! そうなの!?」
「ニンゲンの住む街もいくつかあるから、そこから迷子になって来たんだと思ってたんだ」
「へー、あれ? コープはニンゲンなんだよね、じゃあ私達みたいに外から来てるの?」
「うん、気づいたら里の入り口にいた。あんた達と同じで迷子だ。帰る場所も分からない」
声だけ聞くとあんまり悩んでないみたいだけど、彼の表情はさびしそう。帰る場所が分からないってことは、家族とも会えてないってことだよね……。
「それなら、わたし達の帰る方法を探す時にコープの帰る場所も探す」
「お! アリサいいこと言うじゃない! 私も一緒に探すわ」
「えっ……。いいのか?」
驚いたような顔のコープに、わたしは澪と一緒にうなずく。バロンがいてくれてるとはいえ、 帰れないのは悲しいし怖いから。
「アリサちゃん、澪ちゃん。僕からもありがとう。二人の帰り道も一緒に四人で探そっか」
「うん! よろしくね二人とも!」
「よろしく」
たのもしい仲間が二人もできた。月に来て初めての知り合い。これからどうなるのか分からないけど、胸の奥は少しポカポカしてる。
「そうだ、二人とも里を見て回らないかい? ちょっとした気分転換にもなると思うしさ。僕が案内するよ」
「いいの!? 行きたいなー! アリサはどうする」
「わたしも行く」
置いてかれるのは嫌だし、わたしも里は気になる。まだ一部しか見れてないもの、まだ見てないところに帰る手がかりがあるかもしれない。
楽しそうな二人に続いて、これから里をまわろうとした、んだけど……。目の前にいる澪がなんだか透けているように見えて、一度目をつぶった。落ちつくのよアリサ、今のは疲れて目がぼやけていただけ……。パッともう一度目を開けてみても、結局変わらなかった……。え? なにこれどうすればいいの??
「あれ!? アリサ透けてない!? なんで!?」
「そういう澪こそ! なにこれ怖い!」
急いで澪の手をギュッとにぎりしめる。ここで消えてひとりぼっちになるなんてムリ、たえられないわ! まさかわたしも透けてるなんて……。これからどうなるのかしら、消えてなくなる?
「二人とも大丈夫なの!?」
「うーーん、大丈夫! アニメとかマンガならこういう時、お家に帰るっていうお決まりだもの。 きっと大丈夫!」
「たしかにわたしも見たけどさ……」
物語の中ならあり得るけど、わたしにとっては今体験していることで創作じゃないのよね……。
そんなことを言ってるうちに、もう薄くなりすぎて手の先が透けて見えるようになっちゃった。 どうしよどうしよってあせってたら、澪が近くに来てギュッと手をにぎってくれた。消えかけだけどちゃんと暖かい。わたし達を呼ぶ声が聴こえて振り向いた。バロンとコープの手が、わたしの服をつかもうとしたのを見て……。
ハッと目を開けると、とっても見覚えのある天井が見えた。え、え……? 背中にはやわらかくてフワフワないつものふとん。……ふとん?
「……、かえって……きた……?」
「ん、ふぁー……。あれ? あ! 帰ってきた! やっぱり正解だったのね、よかったー!」
いつの間にかレンズをのぞいたあの時と同じで、となりには澪がいる。てっきりまだ夜なのかと 思ってたんだけど、カーテンのすき間から光見えるから朝なんだと思う。
え、これ夢じゃないよね? ほっぺでもつねってみようか。右手を顔の前に持って来てようやく、わたしはあのレンズを持ったままなことに気づいた。結局あれは夢だったのかな?
「あれ、アリサアリサ! レンズ持ってる?!」
「えっ? あるけど」
「じゃあこれ、バロンに貸してもらったレンズ? ウソ持ってきちゃった、どうしよ!」
澪が持っているのは、わたしが今持っているのとほぼ同じもの。どうして夢のものがここに? とか、あれはほんとに夢? とか……。色々ありすぎて頭が回らない……。
「とりあえずこれは返した方がいいわよね? それにコープの帰る場所も探さなきゃ! えっ、もう一度月に行けるわよね!?」
「やってみる? でも月が見えないんじゃ……」
「アリサー、澪ちゃーん、起きてるー?」
「わ、起きてるーー!」
「あー、私も帰らないと……。とりあえずまた後で、朝ごはん食べたら話しましょ」
「ん、分かった。どこに集まる?」
「じゃあ……」
下からお母さんの声が聞こえて、一旦考えごとは終わり。あんまり待たせちゃうとまた呼ばれちゃうから、服を着替えてから二人で下に降りた。
澪を見送ってから、お母さんお父さんと朝ごはんを食べるために台所へ。わたしとお母さんが並んで、わたしの前にお父さんが席に着く。みんなで手を合わせて、いただきます! 今日はイチゴジャムとスコーンなのね、酸っぱ甘くておいしい……!
「んーっ、おいしー」
「よかったー今日のは上手にできたのよ!」
「うん、前のよりおいしい。サクサク」
しばらくはミルクティーも飲みながらお母さんと話してたんだけど、そういえば望遠鏡の持ち 主って……、今目の前に本人がいるなぁ。
「ねぇ、お父さん」
「うん?」
「昨日倉庫の掃除してて、望遠鏡を見つけたんだけど……」
「望遠鏡……、ああ! あれかぁ!」
思い出したみたい。急な大声には驚いたけど、それより望遠鏡のことだ。
「あの望遠鏡、中にレンズが隠されてたんだけど、なにか知ってる?」
「んんん? 何だい? それ」
「落としたときに出てきて、でも望遠鏡に必要なレンズはちゃんとはまってるの、知らない?」
「いやー、僕は知らなかったなー。あれは僕の友達からもらったものでね……」
お父さんが言うには、あの望遠鏡は仕事仲間の人からもらったらしい。その人も知り合いからもらったらしいから、この望遠鏡はもしかすると色んな人のところを転々としてたのかも。でも知らないのか……。本当にこれはなんなの?
「ありがと、それからごちそうさまでした。あ、これからまた澪と遊ぶね」
「はーい、分かったわ。私は部屋で作業してるから、何かあったらおいでね」
「うん」
食器を片付けて部屋に戻る。レンズは机に置いて来たんだけど、不思議な模様も変わらずそこに置かれている。一つだけってことは、澪はちゃんと持って帰ったのね。
部屋にある鏡を見ながら、サイドの髪を澪とおそろいの三つ編みにしていく。ちょっと前に教えてもらった結び方なんだけど、ちょっとずつ上達してる……気がする。クローゼットから出したポ シェットにレンズと携帯を入れて、行ってきまーすって言って家を出た。
「うーんダメ、朝じゃ行けないみたい」
「そっかぁ……」
澪の家の前でもう一度集まった後、お家におじゃまして彼女の部屋から月を見た。明るい時間でも月がうっすらと見えるんだけど、それじゃダメみたい。
「うーん……」
「夜になったらもう一度のぞいてみよう」
「いい……けど、昨日の場所に出れるかな。澪と離ればなれになったら今度こそわたし動けないんだけど」
「その時は、なにがなんでもアリサを探しだすから、任せてちょうだい!」
「…………」
なにそのカッコいいセリフ、そういうことをさらっと言えちゃうんだから、ホントずるい。
この後はどうしようかって話して、自分家にあるもので役に立ちそうなものを探すことになった。リュックに入れて背負ったままレンズをのぞけば、向こうに持っていけるんじゃないか、という澪の予想で。
勉強机の下、収納スペースからおばあちゃんに貰ったリュックを取り出して、懐中電灯に筆記用具、メモ帳、ハンカチ、とっておいたおやつ、水筒……。思いついた物をいくつか入れていく。正直何を持っていけばいいのか分からない。澪に聞いとけばよかった……、いやそれもびみょ……うん。
時計の針はちょうど十時に。窓から入る月明かりが、ふとんの上に座りレンズをにぎるわたしの影を作り出す。準備はできた。お母さんが見に来ても良いように、リュックのほかにくつを入れたビ ニール袋も持ってふとんの中へ。これならあやしまれないはず。やわらかいふとんに寝てしまわないようにほっぺをパチンと一叩きして、うつ伏せのままレンズ越しに月をた。
澪と合流した後、リュックを背負ってくつをはく。わたしは昨日と全く同じ場所に出たけど、彼女は微妙に遠い所にいた。どうもレンズをのぞいた位置で変わるみたい、お隣さんでよかった……。
昨日歩いた道を、凸凹の地面の形だけをたよりに辿っていく。一応次に来たときも分かりやすいように、石を一本の線になるように並べながら歩いた。ちょっとやってみたかったんだよね、ヘンゼルとグレーテルのあれ。澪もノリノリだからみんな一回はやってみたいって思うのかも、なんて。
二度目だと怖さもなくなるらしい。もふもふの毛を楽しめる程度には、昨日よりは肩の力が抜けている。里に着いてウサギになって、迷ってうろうろ歩き回りながら何とかバロンの家にたどり着いた。
「あ! アリサちゃんと澪ちゃん! 帰れたんじゃなかったの!」
「帰れたよ。帰った上で、また来たの」
ちょうど家から出てきたバロンにめちゃくちゃ驚かれてしまった。幽霊でも見たかのような顔だけはちょっとやめてほしいな。昨日見せてくれたレンズをそのまま持って帰っちゃったので、返しに来たこと、コープの帰る場所も探すことを伝えて、家に入れて貰う。コープも居るかなって思ったんだけど、今は出かけているらしい。
「コープも気になるし、昨日貸してもらったレンズをそのまま持って帰っちゃったから、返しに来 たの」
「そうだったんだ、わざわざありがとう」
澪からレンズを受け取ったバロンは何か考えるように、レンズを見ながら固まってしまう。どうしたんだろうと思いつつそっと見守っていると、彼は顔を上げてレンズを澪に差し出す。
「澪ちゃん、そのレンズを預かっててくれるかな?」
「んえっ? どうして?」
「今のコープは、それにあんまり関心がないんだよ。でもそれは君達の時みたいに、迷子のあの子が帰るためにきっと必要なものだから、お願い。それにそのレンズがあればいつでも来れるからさ」
「……、うん分かった。大切に預かっておくね。まかせて!」
「……わたしも、澪一人だと心配だし、彼のことも気になるから」
「うん、ありがとう」
「こちらこそだよ! ね、アリサ」
「うん、こっちこそ、いろいろありがとう」
改めてバロンとあく手をして、わたし達が帰った後のことを話した。消えちゃったから彼らは心配してくれてたみたい。早いうちにまた来ることができてよかった……。
こっちも行ける時間が決まってそうなことを話したり、地球から持ってきたものを見せたりしてるうちに、コープが帰って来た。
「え、は!? なんでここに、帰れなかったのか?」
「帰れたわよ。だからもう一度来たの。約束したからね、これからも時間があう時にここに来るわね!」
「同じく、よろしくね」
やっぱりおどろいている彼にも同じ様に話す。どうして、なんて言うけれど、うれしそうな雰囲気が隠せてないわ。
とりあえず、まずは前にできなかった里の案内をしてもらうことになった。
「大変! たいへんだぁー!」
突然外から聞こえた声に驚いて澪の後ろに隠れる。そのすぐ後に部屋に入ってきたのは、一匹の小さなウサギ。涙目のまま大慌てでバロンに抱きついて何か言っているけど、顔をバロンのお腹にうめちゃってるから何も分からない。張り付いた子ウサギをなでながら、ゆっくりバロンは話しかけている。
「うー! もごもご、もごご!」
「メポン? どうしたんだ? そんなに慌てて。とりあえず顔を上げてしゃべってほしい」
「ぷは、ラップルとミウイがいなくなっちゃったんだ!」
「なんだって?!」
「お、おいらのせいかも……、どうくつのおくにおたからがあるなんていったから……わーーん!」
子ウサギ、もといメポンはそのまま泣き出しちゃった。どうくつがなんなのかは分からないけど、危なそうな場所だってことは分かる。
「分かった、僕が探してくるからメポンは家に帰って待ってて。大丈夫、ちゃんと見つけて連れていくからさ」
「うん、まってる」
涙をふいて帰っていった子ウサギを見送って。バロンを先頭に急いでどうくつまで向かう。わたし達三人は場所が分からないから、バロンだけがたより。
壁にそりながら慣れないウサギの体で、見よう見まねで四足で跳ねてはしる。むずかしい! こけそう! 澪も苦戦してるみたいで、わたし達二人と彼らの間は三メートル位開いている。
必死に走る先に、壁に空いた大きな穴が見えた。ウサギの家の入り口より、何倍も大きな穴の入り口に小さな影が見える。
走り疲れてよたよたしながら何とか二人に追い付いた時には、もう探しウサギらしい子ウサギが二匹捕まっていて、バロンが話を聞いていた。
「おねがいバロン兄ちゃん。ちょっと中を見たいだけなの」
「中がどうなってるのかみたいの!」
「うーん、困ったなぁ……」
「……、そのどうくつは危ないのか?」
「この子達くらいの年の子は、ちょっと行かせられないなぁ。僕らくらいならまぁいいらしいんだけど……。よし」
引っ付いてる子ウサギ達を離してしゃがんだ彼は、小さな頭に手を置いてなで始めた。
驚いて固まる子ウサギ達に、明るい声で話しかけている。
「ラップルとミウイがもう少し大きくなったら、ここにも来ることができるよ。ただし、それはいい子じゃないと行かせてあげられない」
「でもー……」
「これは里の大人が、君達がけがしないようにって決めたことだよ。どうしても今気になるのなら、かわりに僕らが見てくるけど。どうする?」
子ウサギ達は顔を見合わせて、バロンの言葉にうなずいた。たぶん、あの子達は自分が行くこと じゃなくて、中がどうなってるのか知りたいっていうところが重要なのね。
「バロン兄ちゃんたちが見てきてくれるの?」
「うん、それならいい?」
「うん、おくまで見てきてほしい!」
「分かったよ、だからほら帰りなさい。後、ちゃんとメポンにあやまるんだよ。あの子泣いてたんだから」
「「はーい」」
手を上げて返事をした子ウサギ達は、里の中に戻っていった。何とかなったみたい。全部バロンにまかせちゃったけど、ここは彼の言葉じゃないとすんなり行かなかったと思う。
「おさわがせしてごめんね?」
「大丈夫! 気にしないで、何とかなってよかったわ」
「ありがとう。ほんと、まだここでよかったよ。里の外に行ってたらどうしようかと……」
ホッとしたのかバロンの体がへにゃんてなってる。すごくやわらかそうね。とはいえ、まだ全部終わった訳じゃないのよね……。
「それで、どうくつ、行くのか?」
「うん、行くよ。約束したからね」
「そっか、じゃあわたし達もついてく」
「えっ、いいの」
「さすがに一人で行かせたりしない」
「一人より四人の方がいいでしょ?」
怖くないって言ったらウソになるけど、バロン一人行かせるのも不安なのよ。だからどうくつはみんなで行く。
「ありがとー! 僕も一人はさびしいからさ、みんながいてくれるなら心強いよ!」
「じゃあ、一度帰って準備をしたら行こう! あー、楽しみね!」
一足先に戻り始めた澪を追っかけて、わたし達も家に帰る。澪につられてるのかな、怖いけど少し楽しみなわたしもいることに驚いた。
〖初めてのどうくつ探検〗
バロンの家から、少しのおだんごとランタンをもってさっきの場所まで戻ってきた。大きく空いた穴の先には、さっきは気づかなかったんだけど一面にススキが生えていて、まるでじゅうたんみたいだわ。バロンから、ここはススキの丘という場所だって教えてもらった。とってもきれいなこのススキが、里ではいろんなことに使われるんだって。
自分の背よりも高いススキの中に一歩足を踏み出したとき、急に目線が高くなって、ススキを頭一個分上から見下ろしていた。
「え、あれ? 戻ってる?」
「え、ホントだ! なんで?」
「ここは里の外だからね、外から来た人は元の姿に戻るんだよ」
「へぇー……」
わたしと澪だけじゃなくて、コープの見た目も変わってた。わたし達よりほんの少し背が高くて、ウサギの時と同じ黒い髪と青い目の男の子。どっちかというと、澪と同じでキリッとしてる方なのね。
「この道の先に行くと、目的のどうくつがあるよ。さぁ、行こっか」
ススキ畑の中にある、踏みならされた一本道。そこをただ一人だけ変わらない、ウサギのままの バロンの後ろについて道を進んでく。
しばらく歩いた道の先、見えてきたのは大きく口を開けた灰色の岩の大穴。奥の方、先が見えないような真っ暗闇じゃなくて、所々ぼんやりと青く光っているのが、何だか少し不気味に思える。この辺りは何か、ちょっと寒いような気がする。先に進む前に隣にいる澪の手をつかもうとして……。
「んー、ちょっとだけ、入り口だけ見てきていい? 行くね! わーい!」
「え、ちょっ、まって、いきなり単独行動禁止!! 戻ってきなさーい!」
目をかがやかせてパッっと飛び出してった澪とその後を追いかけて行ったバロン。早速おいてかれた……。行き場の無くなった手を下げる。ここはどうくつの外だし、まだ安全だから飛び出してったんだろうなぁ……。ゴメンねバロン、わたしじゃ澪を制御できないみたい。
「……。おれたちは、どうしようか」
「バロンの方が足速いし、すぐ戻ってくるから、待ってたらいいと思う」
「……分かった」
…………。何を話せばいいのかわからない。どうしよう気まずい。そういえば、昨日も今日もコープと二人きりになったことなんて無かった気がする。わたしはずっと澪といるし、コープもバロンにくっついてたし。
チラッと、人二人分くらい間を開けた所に立っている彼を見る。てっきりバロン達の方を見てるのかと思ったけど、違ったみたい。顔を上に向けて地球を見ている。顔は髪に隠れてしまっていて、 どんな顔をしているのかも分からないけど。
待ち始めて二分ほど、どうくつの方からバタバタと走ってくる澪とバロンが見えた。
「あぅー、ただいま……。バロンはっやいよ、あっという間に飛びつかれた」
「はぁ、はぁ……。もう、ゆっくり行こう」
「お疲れ」
疲れた様子のバロンは澪に抱えられていて、いつも垂れている耳も余計にヘタってなっているように見える。
コープが二人に近づいてバロンを引き取るから、澪もわたしの隣まで戻ってきた。置いてくなんてーって言いながら、へにゃっとしたほっぺを軽く引っ張ってやる。ふにふにのもっちもち。
緊張しながら入ったけど中は想像しているより明るかった。元々全体的に明るい色合いの上に、どうも地面や壁、天井の一部に光る石が埋まっているみたいで、ぼんやりと青白くどうくつ内を照らしている。変わらない景色の中、どこもかしこも凸凹の地面をわたしと澪が持ってきた懐中電灯で一応照らしながら、わたしと澪、バロンとコープの順で進む。
ザッザッ、カツン、ピチャン。わたし達が歩く音とか、呼吸の音とかが静かな空間の中で響き渡る。
「ねぇ、この光ってる石って何なんだろうね。持って帰りたいなー」
「それは、確かムーンストーンだよ。ここだけじゃなくて里の方にもたくさんあるから、後で見に 行ってみるといいよ」
「えっ里にもあるの!」
「家の近くのアクセサリー店で売ってたぞ」
これって確か宝石だよね、なんでそんなにあるんだろう。まさか月の石だから? いやウサギもいるしすっごいありそう。わたしも石に近づいてよく見てみる。
「ねぇ澪、ムーンストーンって光るっけ?」
「ここは現実? とちょっと違うし、この月では光るのかもね、帰ったら調べてみましょ」
ムーンストーンに触ってみると、色に似てちょっとひんやりしっとりしている。この触り心地も同じなのかな。
道の先に広い空間が現れた。どのくらいだろう、学校の体育館くらいはあるかもしれない。天井も同じくらいかな。広い空間には、手のひらサイズの石から三メートルくらいありそうな岩まで、大小色んな大きさの石がゴロゴロ転がっている。
広い空間に入る前に、危険がなさそうか様子を見ることに。どうくつに入る前にみんなで決めた約束ごとの一つで、怪しい音が聞こえたら一度引き返すことにしている。
人間に戻ったわたしの耳じゃ、風の通り抜ける音以外は聞こえない。だから小さな音はウサギのままのバロンに任せるしかなのよね。足元にいる彼は垂れた耳を少し浮かせて、目を閉じてじっと耳をすませている。わたし達は息を止めてじっと待った。
「大丈夫、風の音しかしないよ」
「おー! じゃあここを見てまわろっか」
「四人? それともふた手?」
「四人でまわりたいけど、ふた手に分かれる?」
わたしは四人がよかったけれど、今は危なそうなものがいないことと、時間をかけすぎるとわたしと澪が強制的に帰されることもあって、ふた手に分かれて見てまわることになった。バロン考案のあみだくじの結果、わたしはバロンと、澪はコープと一緒に動くことに。
壁や地面には変わらずムーンストーンが埋まっていて、壁際とか天井、地面近くはぼんやりと明るいけど空洞の中央はどんよりと暗い。
先頭を買って出た澪が道から空洞へ一歩足を踏み出したその瞬間。踏み込んだ澪の足元から、金色光の波が空洞に広がっていった。
「うわぁ!?」
「なになになに!?」
走る光が地面から壁を伝って天井で集まると、そのまま小さくなって天井照明のように空間内を照らし始めた。はぁ、本当にビックリした。きれいだったけどいきなりはやめて欲しい。光が収 まって一分ほど。声をかけようと口を開いた瞬間、今度はあちこちでガタガタゴトゴト音がひびき始めた。
「今度はなんだ!」
「みんなしゃがんで!」
バロンの声で四人集まってしゃがみこむ。ぎゅっと目をつぶって、隣にいる誰かの手を力強くつかんだ。
しばらくすると音がやんで、またシーンとした静かな空間に戻った。わたしはまだ目を開ける気にならなかったけれど、澪とコープの驚いたようなテンションの上がったような声が聞こえて、思いきって目を開ける。空洞の方を目を向けると、そこにはふわふわとたくさんの石や岩が宙を浮いていた。そういえばなんとなく体も軽い気がする。重力が弱くなったのかな?
「すごいすごい! 宙に浮いてる! 磁石みたいな感じかなっ、それとも魔法とか!」
「大丈夫かこれ、落ちてこない? 他の道……はないのか」
「落ちることはないよ、大丈夫。だから頭上に注意して、ささっと抜けちゃおう」
自信のある表情でバロンはそう言った。落ちてこない根拠なんて無いんだけど、わたし達の中で一番たよりになる彼がそう言うのなら、わたしも先に行ける気がする。上を見上げるといたるところに石と岩が浮いている。バロンが先頭になって頭上に岩がないところ、くっきりと浮き出た影の無いところを歩き始めた訳だけど……。
「あ、この先影しかない」
「じゃあ……こっちかな?」
「待って、その先も行き止まり」
「えっえっじゃあこっちは?」
「細いけど行けるな」
すんなり行けるかなってわたしもみんなも思ってたんだけど、これが以外と難しかった。影の無い場所、光の道を歩く訳だけど、道が途切れていたり、低く浮かんでいる岩に邪魔されたり。進んでは戻ってまた進んでは戻っての繰り返し、まるで複雑な迷路のようだった。せめてわたし達の身長が大人くらい高かったら……上から見ることができてもう少し楽だったのになぁ。
光をたどって右に左に、岩をよけてようやく出口が見えてきて、ほっと一息ついた。全体から見るとまだまだ入り口近くで、ここから先も曲がりくねった通路が続くんだろうなぁ。
「やったゴールだー!」
「何もなくてよかった……」
「ふふ、ちょっとここで休けいしよう。そういえば澪ちゃん、時間は大丈夫そうかな?」
「ちょっと待ってね、えーっと、うん、まだ大丈夫そうだけど、もうちょっと進んだら引き返した方がいいかも」
澪の言葉を聞いて、わたしも腕の時計を見る。ここに来た時から結構時間が経っているけれど、この通路の先を見ることくらいはできそう。持ってきた水筒の水を飲んだりチョコを食べたりしてちょっと休けいをはさんだ後、また歩き始めた。
石の浮かぶ空間を抜けて、穏やかな下り坂の通路を転ばないように進む。先頭をワクワクした澪が歩き、その後ろにわたし、コープと抱えられたバロンが並んでいる。ちなみにバロンが抱えられているのはバテてしまったから。わたし達と足の長さが違うからしょうがないね。
入り口あたりの通路と比べると、ここは薄い黄色や白色の光る石が増えていてより明るくてきれいだ。だから懐中電灯いいかなと思ってカバンのなかにしまってある。後は少し肌寒くて腕をさする。今まではちょうどいい気温だったけど、ここから先に進むほど寒くなるのかも。
「それでね……。あれ、分かれ道だ」
今まで真っ直ぐ一本道だった通路が、ここに来て二つに分かれている。Yの字の形に分かれている道の先。右の道には地面に規則正しい凹みが点々とついていて、左の道は雨が降った後の地面のように色が濃くなっている。
「どっちに行く?」
「うーん、ねぇ澪、右の凹み……わたしには足跡に見えるんだけど、どう?」
「お! アリサもそう思う? 私もだよ」
やっぱりそうだよね……、怖いのがいたらどうしよう。わたしが澪と話している間、コープとバ ロンは足跡に近付いてじっと見ている。ここからじゃ微妙に声が聞こえないから何も分からないけど、足跡に指を指しているから足跡の正体を考えているのかも。
二人が右の道を見ている間わたしと澪は左を見てみることに。左の道は雨が降った後の地面みたいにしっとり湿っている。ためしに澪が足で踏んでみると、今までの道と違って少しへこんだ。
「んー、これどうしてぬれたんだろうねぇ?」
「雨なんて降るわけないし、水を持ってくる場所もない」
「やっぱりこの先に水があって、しみてきてるのかなぁー?」
二人そろって首を傾げていると、右の道からわたし達を呼ぶバロンの声が聞こえた。
「……これ、ニンゲンともウサギとも違う」
「大きなイヌ科の足跡だね」
「イヌ?」
再び合流したわたし達にコープとバロンが足跡について教えてくれた。月に関わりがある、もしくは月のイメージがあるイヌ科と言うと……。
「それってまさかオオカミ? 私は月といえばオオカミ! って思ってるんだけど」
「僕もこれはオオカミの足跡だと思うよ。道の先から音は聞こえないんだけど、足跡の向き的に出てきたわけでもないから、多分中にまだいる」
「はち合わせてもおれ達じゃ勝てない。左の道の方がいいと思う」
動物園で見るオオカミはかっこいいと思ったけど、あれはわたしが安全な場所から見ていたからそう思えただけ。もしここでばったり出会ってしまったら……。考えるだけでも足がすくんで体が震えそうになる。
「そう言うわけだから、左の道に進もうと考えてるんだけど、そっちはどうだった?」
「こっちはねぇ、多分奥で水が湧いてるんじゃないかなー。右よりはいいと思う」
「わたしも同じ」
四人の意見があったところで進む道は左の道に決定に。そろそろ時間がまずいと言うことで今日はここでおしまい、バロンの家に戻ろう。分かれ道とかもないから、まだ岩が浮いていた影の迷路のところだけ地面に後をつけて、後は何事もなくどうくつを後にした。バロンの家に行って帰れるまでススキだんごを食べたんだけど。おいしかったなぁ。
どうくつ探検二日目。バロンの家に集合した後、一日目と同じ道を進んでいく。今日は前に持ってこなかったレジャーシートも持って来てるから、どこか安全そうな場所で座って休けいできるよってバロン達に伝えたらめちゃ喜ばれた。一日目で慣れたんだよね、気分はそう、学校の遠足かな。
一つ目の空間についたところ、前と同じように光が走って岩が浮いた。変わっていない光の道を目印にそって進むと、前はなんであんなに苦労したんだろうってくらい早くゴールできた。目印はやっぱり大事らしい。
さぁて戻ってきた分かれ道。ここも前と変わらず、右の道にはオオカミの足跡。左の道にはぬれた地面、見る限りは本当に変わってない。
「オオカミは動いていないのか」
「前の部屋も変わってなかったね、何か時間が止まっているみたい!」
「さすがにそれはないんじゃない? これからも奥で寝ててくれるといいんだけど」
右の道からは相変わらず何も音が聞こえない。不安は残るけど、わたし達は左の道の方に足をふみ出した。
雨の日のような湿った匂いが強くなる。最初は道に水溜まりが点々とあっただけなのに、今ではもう海につながる川みたいになっている。真ん中の道が削れて沈んだのか、端の方には新しく道ができていて、人が二人となりに並んで歩けるくらいには幅がある。だから足を踏み外して水にドボン、何てことが起こらなさそうなのでほっと息を吐いた。
足元に気を付けながら歩いて、疲れて、そろそろ一度休けいしたい! って思ったその時、ようやく通路の出口が見えた。
「おぉー! これもしかして湖!?」
目の前に広がるのは学校の校庭くらい大きな湖。灰色の地面の中心に広がる透明な水に底から広がるムーンストーンの青白い光が溶け込んで、ぼんやりと明るい。水面には光の線がゆらゆら広がっている。めったにない体験だからって言うのもあるんだろうけど、空の下で見る湖よりもずっときれいに見える。
「ずっと下ってきたわけだから、地底湖だろうね。まさかあるとは思わなかったけど」
「すごい。これ、光ってるんだ。初めて見た」
「RPGのセーブポイント」
「それだアリサ!」
それだ、じゃないんだけども。何となくの思い付き発言だったけど澪は気に入ったらしい。コープと澪が湖に近付いてのぞきこんでいる後ろで、わたしとバロンは先に進む道を探す。湖をはさんだ向こう側に段差の地面と通路の入り口があった。
中央に湖があるこの空間は、湖を囲うように道が続いているのだけど半分辺りまで進んだところで両側とも道が途切れている。ゆるい下り坂になっているから、道の続きは水の中に沈んでいるんだろうなぁ。そうなると先に進むにはこの湖を渡るか、一度戻ってオオカミのいる右の道から行くしかない。
「ん、んー? おっ! ねぇねぇみんなあれ見て!」
こっちを振り返った澪のキラキラとした表情は、面白いものを見つけたときのもの。
「どうしたの?」
「ほら、あの辺りを見て、湖の中から岩が飛び出してるの! しかもこっちの岸からあっちの岸まで一直線に」
指差された所を見てみると、確かに石の道ができている。庭にあるあれ、なんだっけ、飛び石? に似たもの。近付いて一番手前の石を触ってみると水にぬれている感じもなく、くつで踏んでもツ ルってすべることは無さそう。
「他のところを見ても何もなかったわ。多分ここを渡るのが正解ルートだと思う」
「川遊びとかでやるイメージのやつ。行けるかな……」
「ちょっと待って、渡る前に一度休けいしよう」
ポムっと手を叩いたバロンがわたしのリュックを指差しながらそう言う。通路を歩き続けて疲れたままこの飛び石を渡るのは危ない。ということで、シートを引いておやつを取り出しちょっと休けい。今日のおやつは、わたしのビスケットに澪のクッキー、そしてバロンとコープのススキだんご。これを分けて食べた。口の中カピカピになったけどおいしかったわ。
水筒のお茶も飲んで水分を取ったら、今度こそ湖渡りの始まり。シートをリュックにいれて、忘れ物が無いか確認したのち飛び石の一本道の前へ。
「わたし、落ちそう」
「ゆっくり行けば大丈夫よ」
「この湖はそこまで深くないと思う。落ちても多分大丈夫、ただびっちゃびちゃにはなるけど」
「ぬれると風邪引くから落ちないようにね。あータオルとか持ってきたらよかった」
手で顔をおおってうつむくバロン。僕が気づいていたらーって言うけど、わたし達も忘れてたからおあいこよ。
湖に走る石と石の間は基本的にどこもあまり変わらない。十歳のわたし達の足でも大きめの一歩で届くような距離。だから本当に足をすべらせたり大きくバランスを崩さなければ渡りきるのはそこまで難しくないと思う。
「よし、澪、いっきまーす!」
先頭に立った澪が一つ目の石に足を乗せる。そのまま危なげなく二つ目、三つ目の石もタタっと渡りきった。ドキドキが落ち着くように目を閉じていっぱい息を吸って吐く。よし、一歩、二歩、三歩、わたしが一つ進むと澪も進む。後ろからは二つほど間を空けてコープとバロンが続く。
最初のうちは慎重に進んでいたんだけど、真ん中を過ぎた辺りで遊び始めた。タッタッピョン タッタッピョン。澪のリズミカル石渡が始まり、つられてわたしも同じようにタッタッピョン。 コープも同じでタッタッピョン。落ちないか不安もあったけど、それも合わせてちょっと楽しかったわね。
「あーっ楽しかった! 帰りもやろー、今度は違うリズムでさ」
「つられてやってしまった……。なんだったんだあれ」
「帰りは僕もやってみようかな」
渡りきった対岸の穴の入り口前でわたし達はちょっと休けい中。お茶を飲んだら穴の先に進むんだけど、ここは今までと違って先に通路が無い。わたし達より少し大きな穴の先は、新しい空間につながっていた。
天井とか壁は最初の空間とあんまり変わらない。たぶんこのどうくつでは空間の中の仕かけが変わっているんだと思う。なら今いるこの空間にも何かしらの仕かけがあるはず。多分その仕かけは、今わたし達の目の前にあるこの水晶の柱なんだろう。
「水晶の柱なんて初めて見たけど、なんかゲームの中にいるみたい」
「テレビでも早々見れないもんねー」
「おれも初めて見た。こんなものもあるんだな……」
そんな話してるうちに、澪が水色の水晶に近付いて手を置いた。その瞬間、発光した水晶の内側にソーダのような泡が下から浮き上がって……。気づいたら澪はいなかった。
「!? 澪! どこ!?」
「ここにいるよーーー! この水晶すごいよーーー! ワープしたのーーー!」
消えた彼女を探そうと足を踏み出した瞬間、空間の奥から澪のテンションが上がりに上がった元気な声がひびいてきた。……大丈夫みたいね。
もう一度水晶にブクブクと泡が現れると、一瞬で澪が戻ってきた。キラキラした顔のほっぺに手を持ってって、キュッと引っ張る。
「うにゅーー、ごふぇんあいさ。ごふぇぇん」
「……次はくすぐりの刑」
「それだけはーー!」
最後に引っ張っていたほっぺを今度は両手で挟んで終わり。手を下ろしたわたしを見て、バロンが水晶についての考えを話してくれる。待たせちゃったかな、ごめんね。
「澪、ワープした後にもう一度触った水晶は何色だった?」
「最初に触った水晶と同じ、水色だったわ」
「そっか、ありがとう! この空間の仕組みはズバリ、ワープです! 水晶に触ると、この空間にある同じ色の水晶にワープするんだと思うよ」
バロンが今度は黄色の水晶に触ろうとする。同じように、わたし達三人も黄色の水晶に手を触れた。ブクブクと吹き出す泡を見ていると一瞬目の前がゆれて真っ暗に。ハッとした時にはもう移動した後だった。
「本当にゲームの仕かけみたい……。実際に体験するなんて思わなかったわ」
「おれも初めてだ。こんなものそうそうないし」
わたしとコープが水晶を触らないようにながめていると、後ろで澪とバロンが次の部屋に行く方法を話し合っていた。
「うーん、次の道はどこにあるのかな?」
「そうだね、同じ色の水晶がない、一つだけの水晶にさわってみようか」
「分かったわ、そこの物静かコンビも来てー!」
コープと同時に返事をして澪とバロンの話を聞く。一つだけの水晶……、えーっと……。
「まず水色と黄色が二つあって、赤色も二つあるね」
「緑とむらさきも二つある」
「後は……、オレンジも二つあって……。あ! 青! 青は一つだけだよ!」
「……白? 色がないっぽい水晶もあるぞ」
見つけた水晶は、赤、オレンジ、黄色、緑、水色、青、むらさき、それから色がない? とうめいな水晶。この中に同じ色がない水晶は「青」と「とうめい」の二つ。つまり、どっちかが先の道につながっているんだろう。
「どっちをさわる? というか、どっちが正解なのかな」
「間違った方をさわった場合って、どうなるの?」
「たぶんだけど、この部屋の入り口にとばされるんじゃないかな」
「それがあってるなら安心なんだけどね」
ヒントになるようなものもなく、ここはもう直感で行くしかないとわたしたちの近くにあった青色の水晶にふれた。ピカリと光ってとっさに目をつぶる。しばらくして目を開けて見えた景色は、 見たことのある景色だった。
「ホントに部屋の入り口に戻ってきたんだ」
「バロンの予想が当たったわ! っと、じゃあ正しい水晶はあの透明なやつで決まりね」
今いるところは部屋の入り口で、透明な水晶は部屋の一番置くにある。こうしてみるとどれが正解か結構分かりやすかったかも。
他の水晶に触らないよう透明な水晶の近くに来た時。目の前を歩いていたコープが足元の石につまずいて、透明な水晶の方にこけてしまった。とっさに彼の服をつかんで支えようとしたけどわたしの力じゃあどうすることもできなくて、二人で水晶に触れてしまった。
「アリサ!」
「コープ!」
澪とバロンのあせった声を聞いて、わたしの視界は真っ白になった。
「うわっ!」
「うおっ!」
二人でしりもちをついてそのまま地面に座り込む。明らかにさっきまでと違う場所に出たから、驚いてちょっとの間動けなかった。今いるのは今までと同じような通路。先には多分教室くらいの広さの空間がありそう。
「ここは、どこ? 澪もバロンもいない?」
こけそうになったコープの腕をとっさにつかんだのは覚えてる。でもまさかワープするとは思わな かったけど、水晶の方に向かってこけたんだからそうなるわよね。
「ごめん、足元に気をつけてればよかった」
「これはしょうがないよ……、それより、澪もバロンも来ない?」
「……すぐ近くにいたから、おれたちを追いかけてもうここに来てるはず」
「……一度戻ろう」
「うん」
立って服についた砂を落とす。水晶は多分同時にふれた方がいいと思うから、いっせーのでさわることにした。右どなりのコープと目を合わせて。
「「いっせーの」」
水晶に同時にさわる……。けど何も起きることはなかった。
「……あれ? な、なんで? どうして?」
「……、ここを見て回らないと戻れないのかも。とにかく先に進んでみよう」
「……うん」
不安しかないけど、一歩先を進むコープの後をついてくしかないのよね。この先に戻れるヒントがあるといいけど……。
「なにこれ、岩? コケ付いてる」
「ここ、穴が空いてるぞ。見てみるか」
大きな岩の中央、わたしの肘辺りの位置にぽっかりと頭ほどの大きさの穴が空いている。穴の中に明かりはないけれど、外からの光で穴の手前あたりにスマホ位の大きさの何かが置かれているのが見えた。
「これは……手帳?」
置かれていたのは子供用の小さな手帳。紺色の地に黄色でたくさんの星が描かれたそれは、パッと見て分かるくらいにはボロボロにすりきれていて相当使い込んだことが分かる。
「ここ、番号が「三」ってことは、「二」と「一」もあるね」
「「四」以上もあるかもしれないけどな」
やめておこうかと思ったけど、ここにいる間は頑張るって決めたから。コープが代わってくれようとするのを止めて手帳に触ろうとおそるおそる手を伸ばす。ちょんって指先で触れようとして……、指が手帳をすり抜けた。
「えっ!」
「は?」
何度触れても空気に触っているような感じがする。ものなんて無いみたいで、でもたしかにそこに見えてるのに。ゾワって背中が冷たくなる、ちょっとは慣れたかと思ったけどそんなことはなかったかも。魔法みたいとか、とてもきれいだとか、かわいい動物だとか、そういうのはまだいいの、澪達もいたし。でもこれはお化けっぽくて無理だ。
「これ、どうなってるの? 今すり抜けた?」
「………、コープ、ちょっと、手、つないでほしい」
「えっ……、えっなん」
「澪の代わり」
「えぇー……、しょうがない」
とまどった顔をしつつ、彼はわたしの手をゆっくりつないでくれた。澪と違うちょっとだけ大きい手。こんなにしっかりコープに触れたのは初めてかも。澪とバロンと変わらない温かさに、なんだかほっとした。
わたしと手をつないだまま、コープも確かめるように手帳に手を伸ばす。わたしの手がすり抜けたから、てっきりコープの手も同じようになるかと思ったんだけど……。
「あれ!?」
「は!?」
コープの手が手帳をすり抜けることはなく、大人しく彼の手に収まった。本当はさわれる方が当たり前なんだけど、さっきの今だから混乱してしまう。コープと顔を見合わせてもう一度わたしも手を伸ばす、けどやっぱり触れない。
「わたしはダメでコープはいい、ってこと?」
「うん、多分。この手帳、覚えてないけど、おれに関係あったりするのか?」
よれよれの表紙を見る。右下の辺りに大きく黒色でなにか書いてあったみたいだけど、文字がかすれてしまっていてほとんど読めない。多分七字くらいはあると思うんだけど。
「んー、これ、「ゆ」っぽいよね」
「最初のやつ? 確かに、そんな感じする」
じっと見ていると、目が慣れて最初の文字だけ読むことができた。表紙に書いてある七文字ってことは多分名前かな。この手帳の持ち主は、「ゆ」から始まる名字の人。
「これだけ読めてもな……」
「コープと関係があるなら、これはあなたの名前、なのかもね」
どうくつの奥で見つけた、明らかに重要そうなこの手帳。結局、中を見ようとしても留め具が全く外れなくて開くことはできなかった。持っていくか迷って、だけどコープが持っていきたそうな顔をしてたから、わたしは持っていくことに決めた。
手帳をしまって、澪に話しかけようとして思い出した。そういえばわたし達はぐれてたんだ。なーんで忘れてたのかな……、保護者な二人が心配してるだろうから、早く戻らないと。
つないだままの彼の手をにぎりなおす。なんだか動きがぎこちない彼の手を引いて、元来た道を歩き始めた。この手帳がカギならちゃんと二人のところに戻れるはず。
「なぁ、この手はいつ離したらいい」
「二人のところに戻るまで。……、もしかして照れてる?」
「照れてない」
顔がちょっと赤いけどわたしは優しいからね、黙っててあげるよ。
「あっ、よかった戻ってきたーー! あーよかった……。大丈夫二人とも、怪我とか無い!?」
「落ち着いて落ち着いて! 澪ちゃん一旦落ち着いて! 勢いよすぎて二人がのけ反っちゃってる!」
「はっ! ゴメン!」
「大丈夫、澪のそれはわりと慣れてるから」
「……、おれは慣れてないけど……」
「ゴメーン!」
両手を会わせて手を上げ下げする澪に笑いがこぼれて、ようやく話は進んだ。ワープした先でわたしとコープが見つけた手帳のこと。ためしに澪とバロンにも触ってもらったけれど、やっぱりすり抜けてしまった。なぞの現象に澪がはしゃいでたのは分かるんだけど、バロンがちょっとさびしそうだったのはなんでなんだろう。
「そういえば、中身を見てなかった……」
「あ、そうなんだ、てっきりもう見たのかと」
「え!? なんで!? 中身が一番大事なのに?」
「多分、わたしが怖がってたから?」
コープと手をつないでたし、手帳を開こうにも開けなかったよね……、なんかゴメン。コープ達は気にするなって言ってくれたけど、今度からはコープと澪の服をにぎりしめるくらいにしておくね。それかバロンを抱きしめるかも。
「別に何もない時はふつうに手をにぎってていいんだよ。むしろおいで!」
「ん、まぁ澪だしね、遠りょなんてしないから」
「よし! んじゃあ中見よっか、二人ともお待たせしてゴメンねー」
「お、おー、大丈夫。えっと、じゃあ開くぞ」
まずは表紙からと彼は手をそえた。もし中身が何の変哲もないただの個人の手帳だろうと、あんな所に置かれていたんだから、それだけでも特別不思議なものに見える。ドキドキなんて音が聞こえてきそうな空気感の中、コープが表紙をめく……ろうとした。
「…………、あれ?」
「どうかしたの?」
「いや、なんか……えぇ?」
彼の手はさっきから紙をめくろうとしてそのまま手がすべった、みたいな、なんか変な動きをくり返している。
「……、開けない」
「え?」
「表紙だけじゃない。どのページも開けないんだ。なんか空気をつかんでるみたいな……。とにかく、手帳の中身を見ることはできない」
ようやく見つけたらしいコープが帰るための手がかり。まさか中身を見れないなんてね……。隣の澪もしょんぼりしてうつむいちゃったし、バロンの耳もいつもよりたれている気がする。コープも落ち込んでるのかなって、彼の方を見てみるけど、手帳をじっと見つめていて何を思っているのか分からない……。
「これには「三」って書いてあって、置いてあった場所も台座……に似たような感じの岩だったわけでしょう? なら、どこかに少なくともあと二つはある! なら私は探してみたい!」
「僕も探したいかな。コープの帰る場所が分かるかもしれないなら、何がなんでも探しに行きたい」
わたしは……。
「わたしも探す。がんばるよ」
「……、おれは、帰る場所を見つけたい。思い出したい」
うつむいていた顔を上げた。キリッとした顔がちょっと不安そうな顔になって、わたし達に聞いてくる。
「一緒に、探してくれる?」
もちろんって、澪とバロンが笑顔でうなずく。わたしもコープの目を見て、しっかりうなずいた。今までの探検の中でわたしも少し変われたのかな? 自分から彼の力になりたいって思えるなんてね。隣の澪が、ほほえましいものを見るような目でわたしを見てくる。
「みんな疲れただろうし、家に帰ったら少し寝よっか」
「お、いいねー!」
「わたしと澪は、ここで寝たらどうなるんだろうね」
「えーどうだろ、起きたら自分の部屋でした! とか?」
「……、もう二人は一応帰る準備をしてから、寝るようにしといたらどうだ?」
「……そうするー」
疲れた足を動かして、行きに比べてちょっと遅い速さで歩いていく。湖を渡って、オオカミの声がしないか耳をすませて、影と光の迷路を抜ける。もうここには来ないかも知れないからってここでの出来事とか会話を思い出しながら、バロンの家に帰ってきた。
戻ってきてそのまま、草のふとんに四人でゴロンと寝転がったとき、小さな毛玉達がいきおいよく飛び込んできた。
「おかえりーーー! 兄ちゃんたちどうくつどんな感じだった? ねぇねぇ!」
「お宝あった?」
「行きたかったよーー!」
バロンに飛び込んできたのはラップル、ミウイ、チュリーの三匹の子ウサギだった。
ふわふわの小さな手を大きくふって耳をパタパタ動かしどうくつの話を聞いてくる。寝ようと思っていたけど、ここまでワクワクした顔をされると話して上げたくなっちゃうわ。
結局、子ウサギ達にどうくつの話をして、満足したあの子達が帰った後に疲れはてて寝た。あの子達の元気はいったいどこからきてるのかな……。
《月の海へ》
どうくつ探検から何日か、ぐっすり眠って体力を回復した次の日の夜、バロンの家にて。わたしと澪が地球から持ってきたお菓子を四人でパリパリもひもひ食べている。わたしと澪が隣に座って、澪の前にバロンが、わたしの前にコープが座っている。初めてウサギの手でジャガイモチップスを食べたんだけど、手のもふもふがしめしめになるし食べづらかったわ。
「いつもはだんご系しか食べないから、こういうしょっぱいものがとてもおいしく感じるよ。二人ともありがとうね」
「どういたしましてー。せっかくだし、みんなで食べたかったからねー。後コープが食べたことあるかどうか知りたかったし」
澪がコープの方を向くと、彼は口の中のものを呑み込んでから答えてくれる。
「わからないけど、似たようなのは食べたことある……かも、しれない」
「うーんとっってもあいまい。なんとなーく食べたことあるかもって感じかぁ」
「ジャガチもこの月にあるのかな」
ウサギの里に来てから何回かここの食べ物も食べたけど、基本的にどこもだんごとか大福とかの モチモチした丸い食べ物が多かった。例外はおせんべいかな。
「そうだね……、似たようなものは「ニンゲンの街」とか、あとは「ジンロウの丘」とかにありそう。あそこはジャガイモも食べるし」
「ニンゲンの街には野菜もあるのね」
「人狼もいるんだ……」
ウサギの里で売られている物の中には、里では作れないような物も売られている。どこで作られてたんだろうって思ってたんだけど、バロンが言うには村の外で作られた物らしい。
「村の外かー。わたし達が来たところは、周りに何にも無かったよねー」
「うん。バロン、他にもウサギの里があるの?」
「そうだねー、この辺りのウサギの里はここだけらしいよ。海を越えたらあるんだろうけどね。外には他の種族がたくさんいて、それぞれの住む場所があるんだよ」
「へぇー、他にどんな生き物がいるんだろうね。楽しみだねアリサ!」
「そうだね」
そろそろお菓子も食べ終わって、何をしようかなって悩んでいたところ家の外からバロンを呼ぶ声が聞こえた。わたしの家の近所にいる気前のいいおじちゃんみたいな声だ。
「おーい、バロンいるかー」
「あっ、はーい! いますよー」
玄関に走っていったバロンを見送って、わたし達はお菓子の袋とかのゴミを片付け始める。里の物とわたし達が持ってきた物のゴミをちゃんと分けて地球に持ち帰るの。よそから持ってきたものはちゃんと持ち帰るようにって先生からも教えてもらったからね。
ちょうど片付け終わったところで、バロンが見知らぬウサギと一緒に戻ってきた。バロンより一回りほど大きい、白と黒の混ざった毛色のウサギ。わたし達三人はバロンより少しだけ、少しだけ小さい位の大きさだから正面に立たれるとちょっと怖い。
「おぉー、こんにちは。おじょうさん達、いやー、こいつが世話になってるねぇ」
ちょっとしゃがんで優しく話しかけられた。あっ怖くない人だ。わたし達のちょっとしたけいかい心はあっという間に消えてなくなった。
「私たちの方こそ、バロンにはいつもお世話になっています!」
澪が元気な声で返事をしてくれる。ありがとう、わたしにはまだちょっとあいさつくらいしか無理なの。空気が和んだところで、みんなで輪になって座り自己紹介の時間。
この白黒のウサギさん、リードさんはここの近所に住んでいるおじさんウサギらしい。バロンが小さい頃から遊んでもらったり面倒を見てもらっていたみたいで、保護者のようなウサギだという。 やっぱり近所のおじちゃんだった。
「おじさん、これから海の方に行くみたいでね、よかったら着いてくるかって誘ってもらったんだ」
「!? 海ですか!?」
澪が勢いよく立ち上がる。その顔はキラッキラのエフェクトが見えそうなくらいで、海ってワードで察したわたし以外は澪の勢いに驚いている。
「うおぅ、澪じょうちゃんは海が好きなのかい?」
「っ、大っ好きです!」
「そうかい、じゃあ丁度よかったってことだな。他の子はどうだい?」
澪の頭をなでてリードさんはわたしとコープを見て聞いてくれるけど、わたしの答えはもう決まっている。
「ん、行きます」
「おれも、海を見てみたいので行きます」
「よぉし、あせんなくていいから、準備してくるといい。里の入り口で落ち合おう」
「ありがとうございます!」
わたし達の返事を聞くとニコリと笑って、リードさんは手を振りながら家を出ていった。
持ち物をまとめたり後片付けたりと一通り準備をし終わって、わたし達はウサギの里の出入口、坂道に入る所に向かった。そこにはすでにリードさんが待っていて、彼の隣には大きなハコみたいなものがあった。
「お待たせ! 準備できたよ」
「お、行けるかい? 忘れ物はないか?」
「大丈夫です! あの、ところでこれは何ですか?」
「これか? これが移動用の乗り物さ。「ニンゲンの街」で買った「魔法のソリ」だ」
「魔法!? 魔法があるの!?」
「ん? 知らないのかい? 「ニンゲンの街」には魔法使いがいてね。彼らから魔法の道具を買うことが出きるんだよ。このソリもそうさ」
わたし達三人と二匹が乗れるソリは本当はもう少し小さかったらしい。でもわたし達も乗るってなると小さすぎるから、大きくする機能を使ってサイズを変えたんだって。そういえば、このソリの形……、あれだ、サンタクロースが乗ってそうなソリ。後ろにプレゼントを乗せてトナカイに引いてもらうあれ。
「わたし、ソリに乗るの楽しみかも」
「おぉ! それならさ、今度一緒にジェットコースターに乗ら……」
「それはいや」
「いやかー」
わたし達のやり取りの横で着々と出発するための準備がされていく。リードさんが丸めてまとめていた手綱? みたいなヒモを広げて伸ばしてソリにくくり着けた。するとヒモが何回か上下にうねって、何も着いていない方のヒモの先にシカのような光が現れた。光は本当のシカのように足を動かしたり、周りを見渡している。
「なんかシカが出てきた……。どんな仕組みだ?」
「僕も昔にね、コープと似たようなこと聞いたんだよ。その時は分からんってバッサリだったんだ よね」
「今は?」
「アッハッハ! 分からん。さ、準備もできたことだし、そろそろ行くからソリに乗りな」
リードさんがソリの先頭に座りヒモをつかんで言う。わたし達はどう座るか話し合って、コープとバロンが前に、わたしと澪が後ろに座った。人が二人座れるくらいの長さの座席で、端から端まで平たい長いヒモが着いている。これがなにか聞いてみたらシートベルトみたいなものだって。全員『シートベルト』を着けたところで、ついにソリが動き出した。楽しみとちょっとの不安で胸がドキドキする。まずは里を出るまでで何とかなれるといいな。
坂道を上って里の外へ出た瞬間、バロンとリードさん以外のわたし達三人はあっという間に人間に戻った。ソリに乗ったままで戻ってしまって大丈夫かちょっと不安はあったけど、何も問題なくて安心した。
「おおー子どもでもやっぱり大きいねぇー、座ってても見上げなきゃ顔が見えねぇや」
「私達って人間の中じゃ結構小さい方なんだけど、やっぱりウサギとニンゲンじゃ違うのね」
ウサギになったまま人間を見ていないから分からないけど、みたらその大きさにビックリするんだろうな。
少しだけ話した後、これからソリで本当に海へ出発する。わたしと澪が歩いてきたところをソリで進むわけだけど、どんな景色が見えるんだろうね。
「ね、楽しみだね」
「……、声に出てた?」
「うん、バッチリ」
「忘れて」
光のシカが引くソリは、車と同じくらいの速度で進んでいく。シカがとびはねる度にキラキラ光る粒がフワフワただよって、ソリがイルミネーションみたいに光っている。わたしと澪がつけた目印を越えてしばらく進むと、だんだんと地面が砂利をしき詰められたような感じに変わっていった。
そのまま砂利道を進んで行くと、ガタガタ揺れていたソリがだんだんと落ち着いて、なめらかに進むようになった。あれ? って思って来た道を振り返ると、砂利は見えず代わりにやわらかい砂にソリの跡が二本引かれていた。
「そろそろ着くぞー。右を見てみな、遠くに大きながけがあるだろう?」
「がけ? ほんとだ、いつの間に……」
「さっきまでなかったよね? 急に出てきたの?」
ソリから見ていた景色のほとんどが凸凹の地面で、クレーターの壁と小さな凹みはあってもあんな大きながけはなかったはず。あのがけがなんなのかリードさんに聞いてみると、わたし達がソリで 進んで来た道と同じだと言われた。
「同じ?」
「坂がゆるすぎて気づいてないと思うが、俺達は坂を下って今の場所にいるのさ」
今まで走ってきた道が坂だったなんて、全然気づかなかった。そっか、じゃあ今いるここってウサギの里と同じくらいの深さにあるのかも。バロンから、地球と違って月は海よりも陸地の方が大き いって教えてもらった。わたしのイメージでは大きな大きな湖を海だって言ってるような感じなんだけど、あながち間違いじゃないような気もする。
今ソリが止まっているのは、左右をがけに挟まれた砂浜の真ん中辺り。わたしが海を見ていると、澪が後ろからのしかかってきた。すぐ横に彼女の顔があるけどその目はじっと海を見つめている。
「ここはウサギの里から一番近い海さ。そうそう海にも名前がついていてな、ここは「静の海」というのさ」
「確かに、名前の通り静かだわ。波もとっても小さいし、音も風しか聞こえない」
地平線の向こうまで見える海はゆらゆらとゆれていて、時々小さな白い波がうまれては消えていく。リードさんが言うにはここは他の海と比べて住んでいる生き物の種類が少ないらしい。いるのは主にクラゲとサンゴ、後はちょこちょこといる他の生き物だけなんだって。
「ま、とはいえ、ここにもにぎやかな所があるのさ」
「そんなところがあるのか?」
「おうよ、そこに今から行くのさ」
シカがさっき見ていた右側のがけへと頭を向けて走る。にぎやかな所って言うのはあの先にあるのかな。
「ついたぜ、ここがこの砂浜唯一のにぎやかな場所「ツキガニの砂浜」さ」
高くそびえる出っ張ったがけ、下の方は不自然にくりぬかれていて、そこをリードさんは指差した。出っ張ったがけで日影になっているそこには、黄色い生き物がワラワラと世話しなく動き回っている。
「ツキガニ……。もしかしてカニ?」
「そうさ、アリサおじょうちゃん」
わたしの見慣れている赤いカニ……じゃあなくて、くすんだ黄色っぽい色をしたカニの群れが砂浜を歩いている。大きさはランドセルくらいかな、リアルな見た目じゃなくて絵本に出てきそうな見た目でちょっとかわいい。隣にいる澪がボソッとそんなカニいたかしら、って言ってるから多分この月にだけいるカニなのかもなぁ。
「彼らからは貝殻をよく貰っているのさ」
リードさんがカニ達に近付いていくと、ザワザワ騒がしい集団から一匹のカニが現れた。頭に赤いはちまきを巻いた、きりっとした眉毛のカニさん。海の方を向いているカニさんは、 波打ち際の砂浜を勢いよくハサミで掘り出した。
「わっわっ、あれ何してるの?」
「あれは貝殻を掘り出してんのさ」
「かいがら?」
「そうそう、どこの海でも色んな貝殻が砂の中に埋まっていてね。それを彼らが掘り出して、俺たちウサギやニンゲン、他の種族と物のやり取りをしているのさ」
リードさんの説明を聞いている間も、カニの隣に結構なスピードで砂山が積み上がっていき、その中からいくつかの貝殻が転がり落ちた。
「おおーい、カニ吉さーん」
ソリを降りたリードさんは、はちまきを巻いたカニに向かって声をかけた。少し遠かったけどちゃんと聞こえたらしい。こっちを振り向いたカニはハサミを鳴らして近づいてくる。
「おぅ? おお! リードさんや、こんちわ。おん? そのニンゲン達はだれや?」
「家の近所に住んでる坊主と、里に遊びに来ている子達さ」
「こんにちは、バロンです」
「澪でーす」
「アリサです」
「……コープ、です」
「おぅおぅ、ワイはカニ吉いうもんや、よろしくな」
ハサミをカチカチ鳴らしてごうかいに笑うカニ吉さん。わたしの方へ閉じたハサミが向けられたけれど、これはあく手でいいのかな? 分からないけれどこのままにしておくわけにもいかない。
「こちらこそ、よろしく、お願いします」
そっと閉じたハサミを片手……じゃあ足りないから両手で包んであく手をする。ニコニコのカニ吉さんは、澪にバロン、コープともあく手をしてからリードさんと話し始めた。
「ここであんさんに会えてよかったですわ。すこしお願いがあってな」
「お! 何でも言いや。ワイにできることなら聞いたるわ」
「助かるわ! せっかくここまで来たから、この子らに貝殻を見せてやりたくてな」
「ええやんええやん! そんくらいお安いご用やで」
「貝殻を見せてもらえるんですか!?」
目をかがやかせて澪が聞くと、彼はにっと笑って澪の背中を叩いた。ハサミだけど痛くないのかな、でも澪ぜんぜん気にしてないから、そんな痛くないんだろうなぁ。
「むしろワイらのがんばりを見てってくれや! さて……これやのうて……、こっち……」
手に持っている布袋から貝殻をゴソゴソと取り出してはしまい、また別のらしい貝殻を出してはしまって……。少しして、これや! と一枚のきれいな貝殻を取り出した。
カニ吉さんを中心にみんなで円になってのぞきこむ。右手(ハサミ)の上に器用に置かれていたのは、赤茶色の一枚とうすい黄色の一枚が重なってできた一つの貝だった。初めて見る色合いの貝殻に、わたし達は思わず、おぉー! と声が出たわ。
「こんな感じの貝殻がここら辺ではぎょうさん採れてな、貝殻がきれいやからアクセサリーようとして外に売りに出しとるんや。ちなみにこれは海の底まで歩いて採ってきたやつやな」
「じゃあさっき見たのとは違うのか。アクセサリーってことは……これをここで加工もするんですか?」
「お、エエとこ気付いたな、コー坊」
「こーぼう……、え?」
「加工は手先が器用なニンゲンにやってもらっとるんや。ほら、ワイらの自慢のハサミじゃあちょっと難しいやろ?」
そういってハサミをカチカチ……。たしかに、あく手した時にわたしの手よりも大きかった。大きなハサミだと、小さい部品をつかめないってことなのかも。
貝殻を見せてもらった後、カニ吉さんは他のカニに呼ばれて住みかの方へ戻って行った。最後に「ニンゲンの街」に行くと、ここの貝殻のアクセサリーを買うことができるって教えてもらった。
「……せっかく教えてもらったし、貝殻もきれいだったから、いつか行ってみたい……な」
「お! 興味出てきた?」
「うん、気になる」
「いいねいいね! 手帳をコンプリートしたらさ、他の街にも行ってみよ!」
「僕とコープも、一緒に行ってもいいかな?」
「えっ、オレまだなにも言ってな……」
「まぁまぁ、そう言って結局は着いてくるでしょう? なら最初からそう言えばいいのよー!」
ニヤニヤ顔の澪とバロンの勢いに押されているコープがなんだか面白くて、彼にばれないように小さく笑ってたんだけど、ばれてたみたいでジッとにらまれちゃった。
わたし達が落ち着いたところで、ソリ内の荷物を整頓していたリードさんから、一度話聞くようにと号令が……。わたし達はお口チャックをしてリードさんに向き直る。
「うし、こっからは自由行動だ。俺はここでカニ吉さんらと話しとるから、バロン達は砂浜や海を見てくると良い」
「えっ!? 好きに見てまわってもいいんですか!」
「バロンから色々聞いて、おじょうさん達にはこの砂浜を自由に見てもらう方がいいだろうってな」
「やったー! ありがとうございます!!」
バンザイをしてよろこぶ澪を見て笑ったリードさんは、気を付けるようにと言うことと何時ごろに集合するかをわたし達に伝えて、カニ吉さんのところへ向かっていった。
「さて、どう行く? といっても海辺を歩くか、がけの方を見に行くかなんだけどね」
「はい! 私は海が見たいです!」
「はい、がけの方で座ってたいです」
「はい……、えーっと……、海辺を散歩したい、です」
澪の言い方にコープが乗って、それならわたしもって思ったけどバロンの質問にどう返そうかって悩んで、とりあえず散歩にした。あんまりぬれたくはないし、かといってがけの方もそんなに……。みんなからあんまり離れないところがいいな。
「うーんバラバラだー……。とりあえずコープのは後で……」
「なんで……」
「うーん、じゃあ波打ち際にそって歩こうか。で、その後向こう側にある大きながけ近くで休けいしよう」
「わかったわ!」
「ん」
「まぁ、いいぞ」
各々自分の荷物を持って、カニ達の住みかから反対の方へとりあえず歩き始める。目的地も何もないただの散歩ではあるんだけど、ふだんわたし達が眼にする海とは景色も雰囲気も大きく違っていて、海の新しい一面を見たようだ。
「タオルを持ってきてたらなー、ひざ辺りまででも海に入れたのに」
「拭くものもないし替えのくつも服もないんだから、やめてね澪? くつがぬれるくらいならまだいいけど」
「はーい、ところでアリサ、もうちょっとこっち来てみない?」
「え、ぬれたくないからヤダ。ここから見てる」
「オッケイじゃあ行ってくるわ!」
足首がぬれないところまで近づいて、パシャパシャと水を跳ねさせながら歩いては立ち止まる。 しゃがんで何か拾ったり、水の中をのぞき込んだりともうすっかり海に夢中。
「海が好きだって言ってたもんね。楽しそうだなぁ、僕も行こうかな」
「くつがないからビショビショになるんじゃないか?」
「やだなぁ、それくらい分かってるよ。波が来たら跳んで逃げるから大丈夫。ちょっとしたゲームみたいで楽しそうでしょ」
というわけで行ってくるね、と言ってバロンも澪のところへ。二人でワーキャー言いながら遊んでいる。
……、ちょっと楽しそう。ぬれたくないし、海もそんなに得意じゃないけど……。
「……あんまり近づかなければぬれない……よね。すーっ……」
「アリサも混ざるのか?」
「うん、ちょっと楽しそうだし、ここで立ってるだけなのはなんか、落ち着かない」
「そっか……、仲間はずれになっているみたいで嫌だから、オレも行く」
「ん、じゃあ行こっか」
わたしとコープも波打ち際に近づくと、はしゃいでいた二人が驚いた顔をうかべる。混ざりに来たことを伝えるととっても喜ばれて、結局くつは雨が降った日みたいにビシャビシャになっちゃった。
海辺で遊んでそろそろ休けいでもしようかって、海辺から少し離れたところまで行く。
「すみませーん、誰かいませんかーー」
波の音の合間に、どこからか困っているような女の人の小さな声が聞こえた。どこから聞こえてくるんだろう。周りを見ても分からなくて澪達に聞いてみたら、そんな声は聞こえなかったよ、って。……背筋がぞわっとして澪の腕に抱きつく。腕から伝わるあったかさにホッと息をついた。
「すみませーん! 誰か、いま、せんかーー!」
また同じ声が今度は勢いをつけて聞こえてきた。これはもしかして、と思って澪の顔を見ると彼女もわたしを見ていて、今度は澪にも聞こえたみたい。よかったわたしだけじゃなくて! バロン達にも聞こえたみたいで、困っているようだから声の主を探すことに。
声が聞こえた方に海に沿って歩きながら周りを見る。さっきまでは砂浜しかなかったのに、歩いていくうちにがけに近付いてきて大きな岩がゴロゴロと。カニの群れがいたがけの近くから、砂浜を 挟んだ反対側まで来たみたい。
今は少し離れて探していて、みんな海の方に行っている。わたしもそっちへ行こうとがけのすぐそば、少し岩肌が出っ張っている所の下を通りすぎようとしたその時、さっきの声が頭上から聞こえてきた。
「すみません、そこの金髪の子! そこのボールのスイッチを押してもらってもいいですかー?」
上を見上げると、三メートル位にあるがけの出っ張りの上から、女の人の顔がのぞいていた。そんなところにいたなんて、でもなんで気づかなかったんだろう。
雪みたいな白い髪におだんごヘアのお姉さんは、出っ張りの上からわたし達の足元を指さす。ボール? そんなものあったかな、って思いながら今度は足下を見ると、砂浜にめり込んでいる水色のゴムボールを見つけた。ボールを持って上に掲げるとお姉さんからそれですそれ! そこでそれに付いてるボタンを押してください! って頼まれる。
ボタンは表面にはなかったけど中に入っていたみたいで、力を入れてにぎってみるとカチッという音がしてボールが大きく大きくふくらんだ。ふくらんだ元ボールはクッションのようになっていて、お姉さんはそこに飛び降りてきれいな身のこなしで着地する。
「いやー、ありがとう助かったわ! ボタンを押す前に投げてしまったから降りれなくなってたの」
「えっと、どういたしまして」
お姉さんがわたしの手を取って軽く上下にふっているところで、海の方を見ていた澪達が戻ってきた。
「アリサこんなところにいた……って、もしかしてその人が探してた声の主?」
「そう、がけの……真ん中?辺りの出っ張りにいた」
「こんにちは、探してくれてありがとうね。あ、ワタシはレジー、冒険家をしているの」
にっこり笑顔のレジーさんとあく手をする。にぎった彼女の手には軍手みたいなてぶくろがはめられていた。そのままの流れでわたし達も自己紹介をする。
「ところで、レジーさんはどうしてあんな所にいたんですか?」
「いやー、あそこの出っ張りに欲しいと思ってた花が咲いていてね、それを採りに行ったのはいいんだけど、安全に地面に降りるための道具を使う時にドジっちゃって……。一応もうひとつ方法はあったんだけど、それは使いたくなくてね」
「花があんなところに咲いてるんですか?」
がけの真ん中にポツンと飛び出た出っ張り、水もなさそうだったあそこに花が咲いていたなんて驚いたわ。
「咲いてたんだよねー、ワタシもビックリしたよ。だからこそまぁ……、採りに行ってうっかり戻れなくなったんだけど……あ、そうだ、お礼にこれあげるわ」
「えーっと、何ですか? これ」
わたしの手のひらに収まる大きさの、半月みたいな形の木の板を二つ手渡された。木板にはアニメで見る魔方陣っぽい図が描かれていて、ためしに二つをくっつけてみると、きれいな円ばんとぴったり合わさった図が出来上がった。澪とコープ、コープに抱き抱えられたバロンも、後ろからわたしの手元をのぞきこむ。
「それは「帰り用ワープ板」って言ってね、片方を帰る場所に置いておくと、もうひとつの左の板を使って帰ることができるアイテムなの」
「えっ! そんなすごい物、もらっていいんですか!?」
ゲームだったら冒険の中ばん辺りでもらえそうなもの、バロンの反応からもこれは貴重なものなんだと思う。
「いいのいいの、知り合いの魔法使いが作ったものなんだけど、デザインが気に入らないって売りに出すのを止めた物なの。そのくせ数だけはちょっと多めに作ってるものだから、まだまだ家にあってねぇ。むしろもらってくれると嬉しいわ」
「わぁ! ありがとうございます。大切に使いますね」
「ふふっ、ありがとう、アリサさん。ぜひ、あなた達の冒険の役に立ててちょうだいな」
にっこりとした優しい笑顔に安心する。月で初めて出会った人間のお姉さんだから、もうちょっとお話ししたいな。なんて思っていると、多分同じことを考えた澪がレジーさんに話しかけていた。
「私達は海を見たくてここに来たんですけど、レジーさんも海を見に?」
「お、ちょっと惜しいなぁー。海を見に来たのはあってるけどね」
「……あってるのに違うんですか?」
「ふふふ、ワタシが何者か思い出してみて、コープさん。そこにヒントがあるわ」
ここに来た理由、レジーさんの職業、四人で答えを話し合ってみるけれど、やっぱり答えはこれしか出てこない。わたし達を代表して、バロンが答えを言う。
「んー、冒険家だって言ってましたよね。なら、何かお宝を探していたり?」
「……、せいかーい! ちょっとかんたんすぎたわね」
ウインクしながらそう言うレジーさん。
「冒険に興味があるみたいね。もしよかったらだけど、一緒に行く?」
「一緒に!? あ、あの、迷惑になりません? 僕達ただのウサギと子どもですけど……」
「これから行く「ローレルの小島」には前にも行ったことがあってね、行き方も分かるし、そもそもあまり危険はないところなの。だから子どもでも安心してたどり着けるわ。とはいえちゃんと保護者の方の許可は必要だから、ちゃんと聞いてからね」
レジーさんの言葉に返事をして澪と目を合わせる。わたしと澪の保護者ってどうすればいいんだろうね。とりあえずはリードさんかな。なんて目線でなんとなく会話している間に、バロンがレジーさんの連絡先を確保してた。この月に連絡手段があるなんて、わたし知らなかったな……、後で聞いてみよう。
レジーさんは今日すぐに小島に行く訳じゃなくて、「ツキガニの砂浜」で彼らと交流しながらキャンプをして、その後に小島に行く予定らしい。
「行けそうでも行けなさそうでも、一度は連絡をちょうだいね。あ! もちろん、ただの世間話とかも大歓迎よ! これからもお話ししてくれると嬉しいわ!」
レジーさんのニコニコ笑顔がとてもまぶしい。断る理由もなにもないから、こちらこそよろし くって言ってあく手をした。
時間を見てそろそろ帰ろうかってなって、レジーさんとは手を振って別れる。彼女はもう少し海を見てからツキガニの砂浜まで戻るみたい。
砂浜を歩いて戻っていると、ソリを動かす準備をしているリードさんを見つけた。彼も用事は終 わったみたい。レジーさんとのことは帰ってからゆっくり話そうということで、見送りに来てくれたカニ吉さん達に手を振りながら、ウサギの里に向かってソリが走り出した。
海であったレジーさんとのことを話して、わたし達もレジーさんの冒険に着いていきたいってリードさんに言うと……。
「お、いいじゃねぇか! 若い内にいろいろ経験すれば良い。そのレジーさん? って人もいい人そうだしな。たしか「ローレルの小島」に行くんだったか、あそこはたしかに危険が少ないからな、安心して行ってくると良い」
だって。リードさんからの許可ももらえたので、そのことをバロンがレジーさんに伝える。少しして予定が決まったみたい。今日から数日後の日にちのようで、その日が来るまではしっかり休んでおくようにとのこと。わたしもその日までの予定はないから、宿題をやりながらゆっくりしてよう。
「ワープ装置も設置しておいたから、二人とも安心して地球に帰ってね。あ、もう一つは僕が持っておこうと思うんだけど、どうかな?」
「うん、バロンが持っててくれたら安心ね!」
「わたし達だと失くしそうで怖いから……よろしくね」
「悪いけどたのむ」
「わぁ! まっかせてよ!」
預けちゃって申し訳ないなって思ったけど、バロンの笑顔見てたら気にしなくてもいいかなって。もしかすると、彼は頼りにされることがうれしいのかも、なんて。バロンのことを少しは知ることができたかな。
あれから数日経った今日は、月の海に行く日。朝からもう澪のテンションが高くなっていて、いつもよりよくしゃべるかつ顔がキラキラかがやいている。やっぱり夜が待ちきれないらしい。だとしても、夜までこのテンションは持たない……、いや澪なら持つかも。
結局彼女のテンションは変わらないまま、夜、ウサギの里入り口まで来てしまった。澪のいきおいにつられてすでにちょっと疲れてるような気がするけど……気のせいね。
「あ、おーい! バロン! コープ!」
「こんばんは」
里の入り口前にはすでにバロンとコープが来ていて、わたし達に気づいて手を振ってくれる。二人ともどうくつに行ったときと同じように準備バッチリで、後はレジーさんを待つだけね。
一番ワクワクしているのは間違いなく澪なんだけど、バロンと、意外なことにコープもワクワクしていることにちょっとビックリした。どうくつの時はわたしと似たような感じだった気がするんだけど、海は興味があるのかな。
遠くから段々とシカがかける音が聞こえてくる。音のする方を見ると、手綱をにぎって笑顔で手を振るレジーさんの姿が見えた。
「お待たせ、じゃあ早速出発しましょうか! 早めに行くと、海の中をゆっくりみれるからねー」
「海の……中! テレビとか動画でしかみれなかったのに、見れるの、行けるの!?」
「澪、よかったね」
「僕も、海の中に行けるなんて楽しみでしょうがないや!」
「ふふふいいねぇ、楽しみにしてて! さ、行こうか!」
わたし達がソリに乗ったことを確認すると、シカがゆっくりと歩きだし目的地の「静の海」に向けて、徐々に走り出した。
「静の海」の砂浜に着くと、レジーさんはソリをカニ吉さん達に預けた。キャンプで仲良くなったのかな、いろんなカニと話をしている。笑い声が響くくらい大騒ぎしたカニ吉さん達に見送られて、わたし達は初めてレジーさんと出会ったがけの近くに来ている。
小島に行くのにどうして海とは反対側のがけの方に行くんだろう。レジーさんの歩みに迷いはないから正解の道なんだろうけど。
「こんなところに何かあるのか?」
「うーん、がけの中に小島に行くための乗り物が隠されている……とかかな?」
「お、バロン君正解!」
「えっあってるんだ!? バロンすごいわね!」
「多少違うところもあるけど、大体あってるの」
レジーさん教えてくれたのは、このがけのとあるところに仕かけがあってそれを解くことで小島に連れていってくれる案内役を呼ぶことができるらしい。
キャンプの話を聞いたりしながら歩いていると、先の方に見えたのは二つの大きな岩ががけに くっついているところ。
「着いたわ、ちょっと待っててねー。この仕かけ結構ややこしいから……」
何してるのかどうしても気になる澪とバロンが見守るなか、岩同士の間が人一人分空いていて、そこに入ったレジーさんがガサゴソガチャガチャ何かしている。岩の隙間が小さくて残念ながらわたし達は見ることができないけれど……。
ガコンって大きな音が響いて、できたと一息つきながらレジーさんが出てきた。チラッと岩の間をのぞいてみてもそこには壁しかない。仕かけはどこに行ったんだろう……。
お水を一口飲んだ彼女に何をしてたのか聞いてみると、がけの岩壁が四角く外れるようになっていて、その奥に隠されているパズルを解いたとのこと。
この仕かけは厄介なことに、時間がたつとまたバラバラになっちゃうんだって。時間制限なんてわたしの苦手な分野だ、やってって言われなくてほんとうよかった……。
がけを離れて、今度は仕かけから見て真正面にある海の方に行く。波打ち際近くでしばらく待つよう言われてじっと海を見つめていると、波のない水面に段々と小さな波が現れ始めた。
「おぉ……、何か来そうな感じだね! 何かしら、船とか潜水艦とか?」
「いや、生き物かも知れないよ」
「わ! それ浦島太郎みたい!」
一体何が来るのか、みんなワクワクしながら待っていると突然大きな波しぶきが上がって、思わず腕を構えてギュッと目をつぶった。冷たい水がパラパラ顔と腕に当たる。澪とバロンのはしゃぐ声におそるおそる目を開けると、そこには人が五、六人乗れそうなほど大きなクラゲが。小さい子が描いたような、ぷにぷにで一見危なくなさそうな見た目の青いクラゲが頭を出していた。
「……、クラゲ? もしかして移動って……」
「そうよ、このクラゲ君がわたし達を小島まで案内してくれるの」
「ツルツルすべりそうだけど……、乗れるのか?」
「とりあえず、僕はコープに抱えてもらえば、まぁ」
「あー……、不安になる気持ちも分かるわ、ワタシも最初はそうだったし……でも乗ってみると結構楽しいのよ、ささ、乗った乗った! クラゲ君も待ちくたびれてるわよ」
先に乗ったレジーさんに手を引かれて、わたしもおそるおそるクラゲ君の上に座った。すべすべでひんやりとした頭、力を入れて押すとぷにょんって少し沈むのが面白い。
「おぉー! すごい! わらびもちみたいね」
「澪、食べないでね」
「うん、アリサ、食べないからね? 私のことなんだと思っているのかな?」
「二人とも、もう少し真ん中に来て。後バロンちゃんとつかんで」
「待って、もうクラゲの上なんだから抱き上げなくていいんだよ? だから下ろして欲しい僕も座ってみたい」
「いいねぇいいねぇ! 楽しい冒険ははいいものよ! っと、そろそろ行きましょうか! あ、そうそう……」
これから出発するという言葉を聞いてレジーさんの方へ意識を向ける。注意することとかもありそうだし、ちゃんと聞いておかないと。と思ってたけどそういうのじゃあないみたい。
レジーさんから、わたし達が落ちないようにクラゲ君の足が支えてくれることを聞いて、落ちたらどうしようって不安が消えてちょっと安心した。
「心の準備はできてる? ……大丈夫そうね、じゃあ、出発よ!」
「出発っ……! おーー! ほらみんなも」
「えっ? お、おーー……!」
「じゃあ僕も、おーー! はいコープも」
「まってまって手を上げさせないで……。お、おー……」
ゆっくりと動き出して、クラゲ君は砂浜から離れた。砂に着いていた青くてとうめいな足が水中でゆらゆらただよう様になっても進む速さは変わらない。雲が風に流されていくように、波に乗って 進んでいる。
わたし達は進む方向から順番に、レジーさん、わたしと澪、コープとバロンの順で五角形ができるように座っている。クラゲ君の頭から下ろした足をぷらぷら、爪先が水に着きそうになったら足を上げて、また下ろす。後ろからは澪達の楽しそうな声が聞こえてきて、しばらくこのままなんだと思うと、何だかほっとして、肩の力が抜けた。
「アリサ、こっち向いてー」
「ん?」
「ハイチーズ!」
パシャリ。振り返ったままポカンとしているわたしを、澪はカメラで一枚撮った。なんでわたしを撮ったの、とかせめて一声かけて、とかいろいろ言いたいことはあったけど……。
まぁいっか。楽しそうにバロン達の写真を撮ってるのを見ちゃうと、文句も何もなくなるわたしは意外と澪に甘いのかもしれない。
「次はみんなでとりましょ! ほらほら、顔近づけてバロン抱えて」
「ちょっ! 抱えなくていいよ肩につかまるから」
「それはオレがヒヤヒヤするから止めてくれ」
昔見た映画にこんな場面があった気がする。澪に頼まれたレジーさんに写真を撮ってもらっている間に右手にヒヤッとしたものが当たった。ビックリして目を向けると、太い糸こんにゃくみたいなクラゲ君の足があった。
どうしたんだろう……。ちょっと怖いけど、指先でチョンっと足をつついてみる。何回かつついてみたけれど少しも動かない。……思いきって足をつかんでみようかな。
「……、えいっ。わ、わわっ」
軽くさわるみたいにつかんだら、足もゆっくり動いてあく手をするように手をにぎり返された。 手のひらが水でぬれて冷たい、でもその中に水じゃなくて、なにか金属を触ったときみたいな固い冷たさがある?
「ん? なにかある?」
足がゆっくりと離れていった後、わたしの手のひらにはピンク色の丸いバッチが置かれていた。これ、忘れていったのかな、それともわたしにくれた……のかな?
手のひらにのせたままこれについて聞こうと思って後ろを振り向くと、他のみんなもクラゲ君の足とあく手したりピンクのバッチを持っていて、どうもわたしだけじゃなかったらしい。
「あはは、ビックリしてるね。クラゲ君はフレンドリーだからさ、頭なでてあげたりさっきみたいにあく手して上げると喜ぶよ」
そう言ってレジーさんがクラゲ君の頭をポンポンとたたく。そうしたら、海の中から足が一本出てきて彼女の手にかるーく巻き付けた。
「あと、あなた達も「サンゴのブローチ」をもらったよね? これを今のうちにちゃんと付けておくこと!」
「わかりました! けど、どうしてなんですか? この、えっと、ブローチになにかあるんだよね?」
手のひらのブローチは、お母さんが持っているものとそんなに変わらない。なにか仕かけがありそうには見えないけれど……。
「ふふふ、それはねぇ……。おっと、まず先にあれを見てくれるかな?」
「何ですか? ん、あれは……え、岩壁?」
「コープ? どうかした?」
「前の方にがけみたいな、とにかく大きな壁が見えないか」
進む先を見ると、確かに岩の壁がドンと立っていた。海の中にポツンと現れたそれは、ウサギの里を囲むクレーターとか、カルデラの壁にみたい。
「あの壁の向こうが目的地だよ。壁をこえるには……どう行くと思う?」
「え……、わたしは、ブローチがカギになってて、小さくトビラみたいに開く場所ができる……と思う、かな」
「はい! 空に水の道があって、クラゲ君がそこを泳いで上から行くとかどうですか!」
「お! 二人ともいい発想だけどちょっと違う! バロン君とコープ君はどうかな?」
「んー、僕は出入り口の穴があると思うなぁ。コープは?」
「……。オレは、バロンと同じで」
突然すぎて驚きつつわたし達が思い思いに答えると、彼女は笑顔で進む道を……、海の中を指差した。
「まさか、海の中?!」
わたし達の驚く声を置き去りにして、クラゲ君はどんどん水中にもぐり始めた。とにかく急いで大きく息を吸って止めたけど、正直息が続く自信なんてない。ひんやりとした水に包まれながら、海水が目に染みるからって目もつぶってしまった。
「みんな、手を離して、息をして大丈夫だよ」
頭まで水に沈んでしまったなかで、レジーさんの声がはっきりと聞こえてくる。そんなこと本当はおかしいはずなのに……。いつもと違うこの状況、わたしも段々なれてきたわ。レジーさんの大丈 夫っていう言葉を信じて、思いきってまずは目を開ける。
うっすら開けた目に水は入ってこなくて、あれって思ってパッと目を開ける。いつもと同じはっきりとした世界に、驚いた顔のコープとすでに楽しそうにはしゃいでいる澪とバロンがいた。みんなの声もきれいに聞こえる、というかいつもみたいにしゃべってるわ……。
小さく口を開けて止めていた息を吐く。口から出た空気が泡になってプカプカ浮かんだ。上を向いてみると水面の青い光が泡に反射してきらきらしてる……。
「アリサ、なぁにポカーンてしてるの? ……あぁ水面きれいだよねー。そうそうこんなことそうそうないから、まわりも見てみるといいわよ! 大丈夫、手もちゃんとつかんでるから」
「まわり……」
澪の方に向けていた体を元に戻して外を見る。海の上にいたときは気づかなかったけれど、魚の群れとかふつうのクラゲが自由に海を泳いでいる。聞こえる音は少ないけれど、それでもなんだかにぎやかな場所ね。
夜の海にしてはここはまだ明るいけれど、足元とか遠くの光がないところはとても暗い。後ろの会話を聞きながら、わたしは足を抱えるように座り直した。
「海の中でも呼吸できるなんて、どんな仕組み何だろう。コープも気にならないかい?」
「気になるけど、今は海を見たい」
「ブローチが気になる? これはね……」
……? 何だろう、暗い海に蛍みたいな光のつぶが三つ、あっちにこっちにと舞っている。
水の中で光る生き物がいることは澪から聞いたことがあるけれど、こんなのいたかな?
「ふふ、じゃあ答え合わせをしよっか。もう分かると思うけど、答えは水の中! あそこにある、「サンゴの森」を抜けていくの」
「サンゴの、森?」
「海の中だよね?」
いつの間にか近づいていた岩壁の真ん中辺り、どうくつの時と同じような大きい穴が空いていた。
「サンゴの森」は、確かに森っていってもいいのかもしれない……。穴の中からあふれ出すようにいくつもサンゴが飛び出していて、クマノミみたいな小さな魚が間をすいすい泳ぎまわっている。
木の生い茂った森の中みたいに、空からの光は入ってこないみたいね。でも……。
「けっこう暗いのかなって思っていたけど、前に行ったどうくつより明るいね」
コープのひざに乗って、前をのぞき込んだバロンが言う。光るムーンストーンが静かな落ち着いた光なら、こっちは明るくてにぎやかな感じ。何が光ってるのかな、石じゃあないと思うけど……。
岩壁の中は大きな空どうになっていて、上も横も岩が見えないんじゃないかってくらいにサンゴが生えている。ここまでたくさんのサンゴを見たのは初めて、テレビでだって見たことないわ。
底にはサンゴじゃなくて、たくさんの海草がゆれている。あれはワカメなのかコンブなのか、わたしの知らない海草かも。
前を向いていたレジーさんがわたし達を見て、案内人のように大きく手を広げる。その瞬間、 サンゴからたくさんの光のつぶが吹き出して辺りを照らす。色鮮やかなサンゴの間で光のつぶがあっちにふらふらこっちにふらふら。まるで蛍みたい。
「「サンゴの森」へようこそ! ここの名前の由来は、その名の通り! まるで森の中にいるかのようなこのサンゴしょうから! ここまでたくさんのサンゴが集まっているのは、ここの他に後数ヵ所しかないの。その中でも岩壁の中にあるのはここだけなのよ」
ガイドさんのように案内してくれるから、気分はそう、遊園地のアトラクションみたい。抱えていた足を下ろして、上に伸ばされた彼女の手の先を見上げる。
「この光、さっき見たのと同じ……あの、これは生き物なんですか?」
「ふふっそうよ、これはサンゴの卵なの。月に一度こんな風に産卵するのだけど、ちょうど見れるなんて運がよかったわ」
「この光がサンゴになるのか。想像つかないな……」
「僕も、サンゴってこんなにきれいだったんだ……」
目の前に降りてきた光に手を伸ばして、手のひらでゆっくり受け止める。……あったかい、手のひらにじんわりあったかさが広がっていく。こうしていると、これはただの光じゃなくて生き物なん だって分かるような……。
隣からパシャリって音が聞こえて顔だけ向ける。わたしじゃなくてサンゴを撮ったらいいのに。あぁ、もうたくさん撮ったのね……、だからわたし達の方を……。
「んー、あっ。澪、あそこ見て」
「どこどこ?」
少し遠いけれどカメラならきれいに撮れるはず。離れたところにあるイソギンチャクみたいなのを指差すと、後ろからのぞき込んだ澪がそっちを見る。さらに何でかバロン達もわたしが指差す方を見ていて驚いて飛び上がりそうだったわ。
「あのイソギンチャク? の周りを、オレンジ色の魚達が泳いでるのよ。澪は小さい魚が好きで しょ。だからどうかなって」
「かわいいっ! ありがとうアリサお礼に一緒にとってあげるほらならんでならんで!」
「あ、こっちにもいる。というか来てる?」
「え? あ、ふはっ! コープはずいぶんとなつかれているね」
「え? うわ、いつの間に、というかどこから来たんだ?」
コープとバロンの周りをたくさんの魚が泳いでいる。かと思ったら今度はわたしの方に来たり、ウロコをキラキラかがやかせながらわたし達のそばからはなれない。むしろ段々と増えているような……?
「ワタシ達のことを歓迎してくれてるのよ」
「そうなの?」
「ええ、彼らがあんな風に泳ぐのは、歓迎してくれてるときただけだもの。ねぇ」
レジーさんがクラゲに手を置いて聞くと、答えるように触手を手に重ねた。ほっぺに寄ってきた魚に人差し指を出してみたら、二匹三匹、四匹くらいが引っ付いてきた。パクパク小さな口でつつかれるからくすぐったいわ。髪の毛の中にもぐり込んでくる
「もうしばらくはこの景色が続くから、じっくりと楽しんでちょうだいな」
手のひらに収まってる魚をチョンチョンなでてみる。ウロコのスベスベもデコボコも、なんだか ずっと触ってたい。ふわふわのウサギじゃなくて、魚にこんなこと思ったのは初めてね。
金色の魚が二匹、いつの間にか髪にもぐり込んでいて驚いた。住み着くから! というように 全っ然離れて行ってくれない。手でそっとつかもうとしてもスルリと抜けられちゃう。あなた達このままだと陸までつれていっちゃうよ何て、言っても魚だから聞いてないし……。
どうしようか悩んでたら、上からぼんやりとした青い光が降ってきた。わたしが気づいた時には みんな気づいていて、光の中に進んだクラゲ君が上に上にと泳ぎだす。
「もう出口に着いたんだ、もっと魚さん達と遊びたかったなぁ……」
「澪はここの場所、やっぱり気に入ってたんだね」
「そりゃあもうね、住んでみたい! ってな感じよね!」
「後でそうね……、バロン君にクラゲ君を呼ぶ仕かけの解き方を教えるわ」
見送りに来てくれた魚達に手を振って、クラゲ君は上に上に浮かんでいく。澪はさみしいなって 言ってたけれど、後でまたここ通るから大丈夫よ。
水面に近付く度に少しづつサンゴがいなくなって、キラキラした星の代わりに水面で光がゆれる。水の中……あんなにドキドキしてたのに長いようであっという間だったわ。
久しぶりに風を感じる。水の中にいたのに服も髪もぬれてなくて驚いたけれど助かった。ぬれても着替えなんてないからね。
また水の上に戻って来たわけだけど壁の中から出た訳じゃないみたい。周りはまだゴツゴツした岩壁だけど、目の前には大きな穴が空いていて、ここから外の光が入ってきてたのね。
「もうこの先が目的地なんですよね?」
「そうだよコープ君。さ、驚くわよ~」
「楽しみ~! どんな感じかな!」
「ローレルの小島っていうくらいだから、たくさん木が生えているんじゃないかな?」
分かりやすくはしゃいでる澪とバロン。それを見ているコープは、二人に混ざったりはしてないけどそわそわしてる……、混ざりたいのかな?
わたし達のことを見守っていたレジーさんが合図としてクラゲ君をなでる。いよいよクラゲ君が前に進み出して、岩壁を抜けた。
驚くわよーっていうレジーさんの言葉は正しかった。外に出てまず目に入ったのは、学校の校舎くらい高い大きな大きな一本の木。ふつうに育ったんだったら絶対にここまで育つことはできないと思うわ。そんな木は小さな小島に生えていた。パッと見じゃあ木しか見えないんだけど、近づくにつれて島の周りにあるいくつかの岩も見えるように。
「おっきな木でしょう? もう分かると思うけど、あれが特別なローレルの木よ」
「ホントに大きい……。これ、どうしてこんなになったんですか?」
「実は、まだ分かってなくてね、調査中なの。さて、もう岸に着くから、降りる準備をしていてね!」
わたしは何も出してないけど、一応澪がちゃんとカメラをしまったことだけ確かめてから、少しゆるんでいたくつひもを結び直した。
そんなこんなで、ついに小島に上陸。クラゲ君が砂浜の上に体を半分乗り上げて止まってくれたおかげで楽に降りることができたわ。レジーさん、澪、わたしが降りた後、コープがえんりょするバ ロンを抱えて砂浜に立った。クラゲ君はどうするのかなって見ていたら、一度水の中まで戻って手をふってくれた。
「わ、行ってきまーす!」
「クラゲ君って器用だよね。ちょっうらやましい」
「バロンは不器用だもんな」
「コープもでしょ」
「……わたしはバロンの手好きだけど」
もふもふだからね、しょうがない。さらさらの砂浜に足跡をつけながら島の中央まで歩いていく。足元を見ると流れ着いたのかサンゴの欠片が落ちていて、触っても大丈夫なものかレジーさんに確認して拾った。
「きれいな色、ここにも落ちてるんだ」
「拾った物は持って帰っていいよ。飾りにしてもいいし、売ってもいい。好きに自分に役立ててね」
「ん、はいっ」
とりあえずこれだけ持って、他のみんなは後で自由に見て回るときに拾うらしい。だんだんと砂に緑色がチラチラと見え始めて驚いた。もしかしてこれ草? 月に初めて来てから今まで、ススキ以外の植物を見なかったからきれいな緑の植物をこの月で見つけたのは初めてだわ。
「ここは草が生える場所なのか」
「ね、ワタシも初めてここで緑色の植物を見たから、ビックリしちゃった」
「あれ、他の場所に草は生えてないの?」
「いいえ? これは単に、ワタシが草の生える場所に行かなかっただけなの。隠されずに生えている場所もちゃんとあるわ」
「「ウサギの里」じゃあ見れないけど、花畑を見ることができる街もあるんだっておじさんが言っていたよ」
リードさんは行ったことがあるのかな? 今度会えたら聞いてみよう。
また歩き出して、今度はもう止まらずに木の下まで来た。太い木の幹は見上げるほど高くて、島のほとんどをおおうようにたくさんの葉っぱが空を隠している。
「ここまで大きいとさ、マンガとかゲームの世界にいる気分になるね! 私この木にツリーハウスを作って暮らしてみたいかも」
「澪ちゃん……、絶対に落ちるから、やめておこうね」
「なんか、緑の間に黄色いなにかが見えてる……?」
「コープも? わたしも見えてる。たぶんだけれど、あれは花だと思う」
「二人とも正解! あれはこの木に咲く花よ。黄色のポンポンみたいなかわいい花なの。ちなみに、葉っぱの方はいい香りがするの!」
「ポンポン? まん丸でふわふわしてるのかな」
「ワタシはこれから木に上って葉っぱを採ってくるのだけど、お花もいくつか採ってくるわ。楽しみにしてて!」
「うん、ありがとう」
わたしとコープの頭をなでて、彼女は少し離れた澪とバロンのところに歩いていった。
二人にも説明してくれるんだと思う。
「あったかいな」
「ね。月に来てから会った人達は、みんなあったかい」
だからわたしも澪の後ろに隠れないで、ちゃんと向き合って話ができるのかな。
「もちろん、コープとバロンもあったかい。ありがと」
「……こっちこそ、ありがとう……」
ちょっとづつ彼のことも分かってきたかも。もしこれからもこうやって、彼らに会うことができるなら……。
「友達になりたいな……」
友達と呼べる友達は澪くらいだから……。この不思議な場所で出会ったコープとバロンと、もっと話せるようになりたい。
小さくつぶやいたと思ったんだけどコープに聞かれてたみたい。驚いてるのかポカーンって顔をしてて、つい顔を反らしちゃった。この空気どうしようか……。
「なぁに言ってんのアリサ!」
「みお?!」
「もう友達でしょうよ」
「そうだそうだー。僕はもう友達だって思ってたけど!」
「ワタシもいれて欲しいなぁー」
いつからいたのよあなた達。いきなり話しかけてこないで欲しい。わたしの心臓止まるわよ全く……。戻ってきた澪達にも聞かれてたなんてはずかしい……。
「あんまり細かいこと考えなくていいのよ。バロンもレジーさんも、もう友達だと思ってるわよ。それにコープもおんなじことで悩んでそうだけど、こんだけ一緒に冒険したんだから、友達だって言ってもおかしくなんてないでしょう?」
えっ、て思って彼の方を見ると、同じように彼もこっちを見てた。友達だって言っていいのか悩んでたけど、そんなこと気にしなくてもよかったのね。
「ん、友達に、なってくれる?」
「……、しょうがないから、なってあげる」
「耳が赤いぞ~」
「もっと素直になっちゃえ~」
「二人ともかわいいねぇ~」
「この……! そこの三人うるさいっ……!」
いつの間にあんなに意気投合したんだろう……。わたしもからかわれる前に離れよう……。ごめんねコープ、友達だけど今は見捨てるわ。
ようやく落ち着いたところで、レジーさんとは彼女の目的を果たすために別れた。大体二時間後が集合の時間になっているから、彼女が貸してくれた時計をちゃんと確認しておかないと。
チェーンが付いている意外には飾りもなんにもない、シンプルなふたがある時計。そういえば、最近こんな感じの時計をもって走るウサギの絵を見た気がする。いつだったっけ?
「どうやってこんな大きな木を上るのかしら……、うー! 気になる、けど!」
「あはは……、またレジーさんと探検に行くときがあったら、その時に頼んでみよう? それよりほら、時間もあんまりないよ」
どうやってこの大きな木に上るのか、わたしも興味はあるけどわたし達もやることがある。
「じゃあ、ここに手帳があるかどうか探そう」
「あるといいね」
「まずは、やっぱりあの木か」
「二手に別れよっか、どう別れる?」
「はいっ、バロン行こ」
「……! オッケイ澪! 行こうか!」
じゃあ私たち木の方見てくるわ! って言って、二人は走っていった。さっきまでの流れを取ったのかなんなのか……。離れた後でも響いてくる二人の声を聞き流しながら、コープの方を向く。
「オレたちも行くか。どこ行くって言っても……、周りの岩くらいか」
「そうね、前は岩の中にあったし、もしかしたらあるかも」
「この小島にあるとも限らないけど、でも、なんとなくある、と思う」
「それは、期待が持てるかも」
歩きながら話しているけど、前より言葉がすらすら出てくる。わたしには分からないんだけど、そういうのがあると希望があるわ。ないよりはいいもの。
砂浜に点々と落ちている岩は、大体が川原の石サイズから一メートルくらいの大きな岩までの大きさ。いったいどこから来たのかしら?
とりあえず一番近くにあった大きな岩の前まで来てみたけど……。
「どこからどう見てもふつうの岩」
「穴もないし、けずれたみたいな後はあるけど、特別なものとかはなさそう」
「時間もあんまりないし、他を見るか」
それから、木を中心にして時計回りに砂浜を歩いて回った。その合間合間にサンゴの欠片を拾ったり、きれいな石を拾ったり、ちぎれて落ちていた葉っぱを一枚拾ったり……。手のひらに収まる大きさの物をいくつか拾ってカバンにしまった。売るか飾りにするかは今度考えよう。
「……。一周したけど何もなかったな」
「ね、後はありそうなところと言えば、あの木くらいよね」
「そうだな、でも見つけたなら、あの二人の喜びの叫びがありそうだけど……」
「聞こえてくる会話の感じだと見つけてないね。わたし達も行こっか」
早く二人と合流したいな。わたし達は大きな声を出すのが向いていないから、澪とバロンの声を頼りにして二人を目指す。レジーさんはどうしてるのかなって思って木の上の方を見上げたけど、葉っぱで隠れてしまってよく見えない。でも一ヵ所だけ枝が大きく動いたから、そこにいるんだと思う。
見つけた澪とバロンはしゃがんでいて、落ちていた葉っぱやら茂みやらの話で盛り上がっていた。声をかける前にバロンは足音に気づいたみたい。
「おっ、そっちはどうだった? ちなみに私達は見つけられてないよ」
「こっちにもなかったな。ここにはないのか……?」
「うーん、もう一回、今度は四人でまとまって探そう」
「なるほど二週目ね!」
二人で見ていたら見逃してしまったところも四人なら見つけられるはず。ということで、最後に本当にあるのかないのか確認してこの島での探検を終わりましょう。
地面に飛び出していてデコボコ木の根本辺りに注意しながら、穴が空いてそうな場所をのぞき込んで行く。
ここも違う、こっちも違う、あっちも違う……。みんなの声が聞こえなくなるくらい探して、でも見つからない。やっぱりここにはないのかな……。ずっと曲げていた足がしびれる。痛いけど少しのガマン。曲げていた足を伸ばして軽く背伸びした時に目の前にある木の幹に穴を見つけた。
「はぁ……、ん? こんな所に穴なんてあったかしら……? もしかして……!」
リスでもいそうな、腕一本がちょうど入るくらいの広さの穴。手を入れるのは中が分からなくて怖いわね……よし。さっき拾った木の枝の中から、ちょっと太めの枝を選んで穴にゆっくり刺していく。本当に動物がいたら怖いから、真ん中じゃなくて下の方で。なるべくとがっていない丸めの物を選んだんだけど、大丈夫よね?
「んー……、あっ、行き止まり。深さは、コップ二個分くらいかな……って、わたしは触れないん だったわ……。コープを呼ばないと……」
「呼んだか?」
「ひゃっ! ビックリした……!」
後ろには、いつの間にかコープ達三人がそろっていた。いつの間にいたのよ……。
「ちょうどよかった、これにちょっと手を入れてみてくれる?」
「あったのね?! 手帳のありそうな穴! え、さっきは見つかんなかったけど」
「あぁー……、僕ら下の方を探しがちだったから……なんかくやしいな」
「まぁ、よくあるから……アリサ、ちょっと場所変わって」
「ん」
わたしと場所を変わったコープはためらいなく手を入れた。すごいなぁなんて思いながら待っていると、彼は急に驚いた顔になった。もしかして……。
「あ、あった……。ほらこれ」
振り向いたコープの手には、前にどうくつで見つけたものと同じ手帳がつかまれていた。まさか本当にこの島にあるなんて、ここまで順調だとちょっと怖いなって思うのはわたしだけなのかな?
首にかけた時計を見るともう集合時間の数分前になっていた。いつの間に……、本当にギリギリ だったのね。澪達にも時間を伝えて、わたし達は最初に降りた砂浜まで戻ってきた。
「お待たせ! ごめんね、降りるのにちょっともたついちゃって」
「レジーさん! 私達も今ここに来たから、大丈夫ですよ! 葉っぱは採れたの?」
「バッチリよ! でもそっか~、よかった~。あ、はいこれ、これがこの木に咲いている花よ」
手を出してって言われて、わたし達は両手のひらを上にしてくっつけた。そうしたら、手のひらにフワッと黄色の花が三つ。想像してたような綿毛じゃなかったけど、それでもタンポポみたいでかわいい。
「かわいい! これは机に飾りたいなー。でもすぐ枯れちゃうかー……うーん」
「押し花とかどう? 夏休み前に、レクリエーションでやったあれ」
「それだ!」
うちの学校はいつも大きな休みの前にいくつかのレクリエーションをだしてくれていて、その中からわたしと澪は押し花体験を選んだの。今のわたしにはこの方法しか思い付かないわ。
「できるか分からないけど、やってみましょ」
「僕らもいいかな」
「もちろん! じゃあ花が枯れてしまう前に、バロンの家でやりましょっ!」
「それじゃあ、帰りましょうか。クラゲくーーんお待たせーー! 出てきてくれるーー?」
最初は仕かけがあったのに、帰りはそんな呼び方でいいんだ。手をメガホンみたいにしてるからかな、すごく声が響いていて山びこみたいだわ。
水面がゆらゆらゆれて、中からクラゲ君が顔……は見えないけど顔を出した。
「お待たせ、帰りもよろしくね」
「よろしくー!」
「忘れ物ないようにね、大丈夫かい?」
「私は大丈夫」
「オレも」
行きと同じような順番で乗って落ちないように座り直したあと、島から持ってきたもの……ローレルの花とかを見た。ちゃんと持ってきてるよね? リュックのポケットにあった、大丈夫。
レジーさんのさあ行くよ! っていうかけ声を合図にして、ゆっくりとクラゲ君が泳ぎ出した。 島がちょっとずつ小さくなってくのがなんかさみしいな。バロンとレジーさんと澪の三人が、拾ったものとか葉っぱを見て話してる。あの葉っぱ料理に使ったりするんだ、帰ったらお母さんに聞いてみよう。
楽しい探検の時間はあっという間に終わって、わたし達は「静の海」の砂浜に戻ってきた。
海の中はとても静かで、わたし達の声だけがひびいていたのだけど……。今いるここは「ツキガニの砂浜」。テレビで見たお祭りの時みたいなにぎやかな声が遠くからでも聞こえる。それを聞いてたら、何でかさっきまでの寒さはどこかに行っちゃった。
クラゲ君から降りた後、彼はわたし達に手を振りながら海の中に帰っていった。
「あーまた行きたーい」
「さっき帰ってきたばかりなのに、もうなのね?」
「もちろん! でもでも、今度はにぎやかな海にも行ってみたいんだよね。ほら、沖縄の方の海みたいなさ」
たしかに……、「静の海」はちょっと冷たくて名前の通り静かで、何て言うか寒いところにある海みたいなイメージ。ここ以外にもたくさん海はあるみたいだけど、でも月に暖かい海はあるのかな。
「戻ってきてお疲れでしょうけど、後ちょっとよ! さ、「ウサギの里」まで帰りましょうか」
「はーい!」
「おーお帰りぃ! 待っとったでぇ」
「あれ、カニ吉さん!?」
「カニ吉さーん。すみませんね、ソリを持ってきてもらっちゃって」
「いやいや気にせんといてくれ、こっちも仕組みやら色々見させてもらえたんで、うちのも満足してますわ」
レジーさんについて歩き始めた時に、先の方からソリを引いたカニ吉さんが歩いてきた。後ろに引いてるソリをレジーさんが受け取ると、固まってるわたし達に乗るように声をかけてくれる。
同じ道のはずなのに行きに比べてあっという間にかけぬけて、ウサギの里まで帰って来た。ソリを降りたわたし達は、乗ったままのレジーさんと向かいあう。彼女との探検もあっという間に終わっ ちゃったのね。
「レジーさん、今日は本当にありがとう! とっても楽しかったわ!」
「わたしも、すごくきれいだった」
「貴重な体験をありがとうございました」
「探し物もおかげで見つけられた。ありがとうございました」
「こちらこそ! みんなと探検できてよかった! また冒険したいときはぜひ声をかけてちょうだいね」
ギュッとあく手をした後、ソリに乗ったレジーさんが見えなくなるまでわたし達は手を振って見 送った。さびしいな、次に会えるのはいつか分からないけれど、また一緒にどこかに行きたいな。
バロンの家に帰って来たわたし達は、四人で輪になって床に座る。わたしと澪が帰るまでの時間で、今回見つけた手帳を調べちゃいましょう。コープが持ってきた手帳を真ん中に置いて、表紙に書かれた文字を探していく。ウサギになってみると手帳でも十分大きいのね。
「これは……二番目のもの」
まず目についたのは「二」の数字。どうくつで見つけたのは「三」だったから、次に見つけるのは「一」かしら。とりあえず、四冊、五冊と増えていかなければいいな。
「名前はどう? 読める?」
「うーん……」
かすれて消えかけてしまっている文字を、あれじゃないこっちもちょっと違う何て言い合いながら、わたし達はしっくり来るただしそうな文字を探した。
「あぁ、えっと、これは……「は」と「し」か?」
「うん、後は……こっちは「の」っぽいけど」
ちゃんと読めたのは三文字目と四文字目、それから五文字目だけで後は読めなかった、残念だわ……。でも持ち主の名前も少しずつだけど分かってきた。
「今読めるのは、「ゆ」「はし」「の」の四文字。たぶんだけど、「ゆ」「はし」が名字で、「の」が名前ね」
「名字があと一歩なのに……!」
「「の」から始まる三文字の名前……、の、「のびた」?」
「ここにネコ型のロボットはいないわよ」
「んふっ……!」
「どうしたバロン?」
「なんでもないよ! コープはなんだと思う?」
「えー……、のぞ……、み、とかか?」
あんまり男の子の名前は分からない……。ここじゃあ調べることもできないし……。手帳を全部見つけないといけないなら、あんまり意味はないけどとりあえず、帰ったら澪とちょっと調べてみよう。
相変わらず手帳のなかは見ることができなくて、これ以上は何も分からなさそう。
「やっぱり、全部集めないとダメそうだ……」
「じゃあ、おそらく最後の一つのはず! 手帳「一」を探しに行きましょ!」
「だね、じゃあまずは、このまま寝ちゃおっか。はいこれわらを引いてー」
「「「はーい」」」
ウサギが四匹寝れる大きさに広げて、眠そうな澪を先に寝かせる。そのとなりにわたしも寝転んだ。バロンとコープは、澪をはさんだ反対側。
毛布と違って、草だからちょっとチクッとするときもあるけど。自分のウサギの毛もあってフワフワしてて気持ちいいかも。三人の穏やかな呼吸を聞きながらゆっくり目を閉じて、おやすみなさーい。
《最後の手帳》
海へ行った日から数日後。わたし達はいつものように、バロンの家で話し合い中。最後の手帳がありそうな場所、「月の裏」に行くことにしたのはいいけれど、どうやって行くのかが問題だった。「静の海」にはリードさんの「魔法のソリ」で行くことができたけれど、リードさんはすでに里を出てしまっている。
次に相談できるのは冒険家のレジーさんだけど、昨日連絡したときにはもう友達と冒険に出ていたらしくて、楽しんでいるところの邪魔はしたくない。ということで、里の外を移動する手段が何もなくて困っているところ。
「うーん、一応行く方法はあるんだけど……」
「だけど?」
「あいつの欲しいものがなーー……」
そうつぶやいた彼はちょっと顔をしかめて腕をくんだ。澪と顔を見合わせる、バロンのこんな表情初めて見たよね……、苦手な人なのかな。そう思って聞いてみるとこれまた微妙そうな顔に。
「苦手ではないんだけど……めんどくさ、いや……、うん、ちょっとめんどくさい人かな」
「言い直せてないよ」
「ね」
「んんっ。まぁ一回そのウサギに話を聞いてみるよ」
「分かったわ、ありがとうバロン」
眉間のシワを消していつものおだやかな顔に戻ったバロン。やっぱりこっちの方が落ちつくけど、さっきの顔もかわいかったな、ウサギってずるい。今のうちに聞いてくると言ってバロンは家を出ていった。
「……話が終わったなら、こっちを手伝って欲しいんだけど」
わたし達の後ろから、困りきって力がない声が聞こえてきた。後ろを向くと、ラップル達にくっつかれて身動きの取れなくなったコープがいた。どうしてこうなっているのかと言うと、わたし達が海に行った話をどこからか、多分リードさん辺りかな、から聞いたらしく、それで話を聞きに来たらしい。
「あーらら、ごめんねコープ、まかせちゃって」
「澪、顔が笑ってるんだけど! 謝る気ないだろ」
「だって……、あなた明らかになつかれてるんだもん。ねー」
澪が子ウサギ達に聞くと、みんな元気よく返事をしてくれる。コープも困ったような顔をしているけど、ちょっとうれしそう。素直じゃないって言うのかな、これは。
結局、元気の有り余った子ウサギ達からは逃げられず、わたしと澪が帰る寸前まで一緒に遊んだ。バロンが帰ってきたのは子ウサギ達が帰ってすぐ。ソリを貸してもらうことはできたみたいで、明日明後日辺りに、そのウサギが欲しがっているものを渡すんだって。
「それで、何を渡すの?」
「ああ、渡すのは「珍しいもの」だよ」
「「珍しいもの」?」
「そう、ということでお願いがあるんだけど、地球から何か持ってきてもらえないかな……。お菓子とか、ちょっとした入れ物とか、なんでもいいんだけど」
「なるほどね、分かった! じゃあお菓子の詰め合わせとか持ってくるよ」
どんなものでもここだと貴重なものになるから、深く考えなくていいよとのこと。澪がお菓子の詰め合わせなら、わたしはお菓子を入れる箱にしようかな。
渡す箱のことを考えつつ、今日は地球に戻ることになった。ちなみにこの会話中コープは疲れ きって丸くなって寝ていた。
また月に行く前に、二人で近所のだがし屋さんに行ってお菓子を買ってきた。何がいいのかなって迷って、わたしと澪が好きな小さくてまあるいカステラを持っていくことに決めた。ちなみにお金は二人で半分こにしてる。カステラをわたしが集めていたかわいいハコの一つに入れて、リボンできれいに結んだら出来上がり。これでいいのかしら?
大丈夫かなって不安を少し持ったまま、月に付けたいつもの目印で合流した。
「こんにちはラメルさん。いそがしいのにすみません」
「…………。……」
「いえいえ、あいつ、んんっ……、ルルにもありがとうって伝えてもらえると」
「……ええ」
「ねぇ、バロンとあの……メイドさん? みたいなウサギさん、あれで会話できてるのね」
「ね、ふしぎ」
バロンの家に訪れたわたし達が見たのは、ヒラヒラしたリボンのカチューシャを付けたウサギと話? をしているバロンだった。行こうかどうかなやんだけど、カチューシャのウサギさんがプレ ゼントを渡す相手かもってことで、ゆっくり近づく。バロン気付いてくれるかな。
「あ、二人ともいらっしゃい! っと、紹介しないとね。こちらはラメルさん。僕がソリをお願いしたウサギのお世話係みたいな方だよ」
「……」
言葉は出さずに、にっこりと笑ったラメルさんは、きれいなおじぎをしてわたし達の方に手を出した。まず澪が手を取ってあく手をして、その後にわたしも同じようにあく手をする。真っ白で長い毛がフワフワゆれててかわいい。
「…………、お代をお願いしても?」
「おだい? あっ! あれね! アリサ!」
「うん、あの、これをどうぞ。中に入ってるのは食べ物です」
ラメルさんがわたしの手からハコを受け取って花柄のふろしきに包んで背中に背負った後、おじぎをして帰っていった。バロンとの話もすんで、今日はもう帰る予定らしい。彼女とここで会ってカステラを渡せたのは運がよかったかも。
ラメルさんが持ってきてくれたソリは里の出入口の坂近くに置いてあって、コープはもうそっちに行っているんだって。わたしも澪も全然気付かなかったわ。コープのところまで三人でおしゃべりしながら歩いていく。
「彼女はね、ここからちょっと離れたところの大きなお家に住んでるんだ。今度そこの家主に用事があるから、よければ一緒においでよ」
「え!? いいの?」
「うん、あいつも二人に興味あるみたいだから、むしろ歓迎されるよ」
「そう……、じゃあえっと、わたしも行く」
「ふふっ、わかった、伝えとくよ。楽しみにしてて」
まだバロン以外の人のお家とか見たことないからちょっと楽しみ。
出入口の坂について、そこから壁沿いにちょっと歩くと、ソリに座ってうたた寝中のコープを見つけた。近づいても起きなくて、相談の結果先にソリの準備をしてから起こすつもり。ソリはリードさんのと同じもので月の裏までバロンが操縦してくれるって。バロンがシカに手綱をつなぐ間にわたし達もシートベルトをして席に座る。
「ん、ふぁ……。あ、……やっと来た」
ゴソゴソと音を立てていたからさすがに起きたみたい。私達もいるんだけど! って澪が身を乗り出して言うとビックリしたみたいで、背後にきゅうりを置かれたネコみたいだった。
月の裏側に着いたわたし達が見た景色は、今までのワクワクする不思議な世界じゃなかった。白っぽい凸凹の地面は、見えない境界線を境に影みたいに黒い地面に。頭上で照らしてくれた地球も見えない、風も感じない、音もしない、ものさびしさを感じる何もない世界だ。空でかがやいている無数の星の明かりがなければ、地面もしっかり見えなかったと思う。
「…………、なにこれ怖い、どうなってるの?」
「確かに、月の裏側はなぞに包まれてたけど、何も設定されていないゲームみたいね」
地球から来たわたしと澪だけじゃない、月に住んでいるバロンとコープも驚いた顔をしている。二人とも「月の裏」には来たことないって言ってたもんね。
「きれいに直線で地面の色が分かれてるな」
「ここから先は本当に未知の世界だね」
「ねー。よっしゃ! 私、一番乗り行くね! ってことで……、ホイッ」
かけ声と同時に澪が黒い地面に足を踏み出した。くつが地面をすべるザザって音だけが静かな中ひびく。しばらくはみんな息をひそめて待ってみたけれど、景色にも何も変わりはなかった。
「仕かけとかはないみたいね!」
「澪、もう遅いかもだけど、お願いだから危ないことに首突っ込まないでね」
「うん、分かったわ! ほら行きましょう!」
「分かってないかもね、これ」
どうしてこの子は、好奇心が爆発するとおばかになるんだろう……。澪に続いてわたし達も一歩進んでみる。わたしとバロンの後、コープが黒い地面に一歩踏み出した時、彼の足元から光の道が遠く遠く真っ直ぐに伸びていきその先に一枚のドアが出てきた。トビラを付けるのに必要な建物も壁もない、ただただドアがそこにあるだけで、まるでアニメに出てくるどこにでも行けるドアみたいだ。
「わ……、やっぱり、ここに「一」の手帳がありそうだね」
「……あのドアの先に行けばいいのか」
今まではわたしと同じで、先を行く澪とバロンの後ろを着いて行ってた。でも今回は違うみたい、光る道を誰よりも先に進んでいく。先頭を進むコープとバロン、その後ろをわたしと澪が並んで真っ直ぐに伸びる光の道をただひたすら歩いていく。代わり映えのない景色の中、体感で十分くらい歩いてようやくドアにたどり着いた。
ドアの色はピンクじゃなくて、ふつうにお家にありそうな茶色のドア。わたしの頭一つ分上の所にのぞき窓が付いているから、バロンを持ち上げて中を見てもらおうとしたけどダメだった。窓の向こうは黒一色で見えなかったみたい。
「壁さえあればただのドアなのに、って言うかこれどうやって立ってるのかしら? 開けることできる?」
「ちょっと待って、開けてみる」
「コープ、何があるか分からないから、ゆっくり開けてね。気を付けるんだよ」
コープに下ろされて、心配そうな顔で彼を見上げるバロン。本当は自分が行きたいって顔をしてるけど、コープの表情を見て見守ることに決めたみたい。
軽く深呼吸をしたコープがドアの取っ手をにぎる。もし何か飛び出してきても良いように、わたしと澪で彼の服のすそをつかんでおく。いざとなったら思いっきり引っ張ってドアから離すためにね。
ゆっくりとドアが開いていく。ネコが通れるくらい開いて、人が通れるくらい開いても結局なにも飛び出して来なかった。開いたドアを盾にして、そろーりそろーり顔を出して中をのぞく。ちなみに背の高さの関係で下からバロン、わたし、澪、コープの並び。
「……これは……、部屋? えっほんとにどこにでも行けるドアじゃない!?」
「僕ちょっとドアの裏を見てくるよ」
「ありがとうバロン! ねぇアリサ、この部屋男の子の部屋みたいね? もしかしてさー」
「そうねー……」
ただの部屋みたいだから、ドアを開ききって四人で中に入る。部屋は全体的に紺色と黒色でまとめられていて、かっこいいとか、クールとかそんな印象。わたしの白と黄色のちょっとしたカワイイでまとめた部屋とは正反対だ。
先に手帳を探そうってことでみんな好きに見て回っている。ちょっと部屋の持ち主に申し訳ない気持ちもあるけど、わたしも男の子の部屋は興味あるから……ね。澪は本だなを見ているし、バロンはいすに跳び乗って机の上。コープは……。
「どうかした?」
「は、何で?」
「何か、考え込んでるみたいな顔してたから。どうかしたのかなって」
「いや、なんかこの部屋、見たことあるような、そんな気がしただけ」
そう言ってコープはベッドの方に歩いていった。この部屋は、やっぱり……。とりあえずわたしも探そう。部屋を見回して、まだ誰も見ていない物置だなを見ることにした。それは二段の物置スペースがあって、その下に引き出しが付いている。高さはそんなに高くなくてわたしの頭くらいの高さだ。
一番上と二段目のスペースにはゲーム機にトランプ、ボードゲームが置いてあって、遊び好きな男の子って感じ。ただ、一人で遊ぶものよりも、二人で遊ぶものの方がが多い気がする。最後に引き出しを開けようとしたところで、澪の見つけた、という声が聞こえてきた。
「あった、あったよ! ほらコープこっちこっち!」
「わ、分かってるから引っ張るなよみお」
コープの手を取って、澪が本だなに置かれていた箱を手に取った。きれいに整頓された本達の隣に、ちょっと古そうな使い込まれた木製の箱が置かれていたらしい。箱はわたし達でも触れるみたいで上のふたは外されている。わたしも中をのぞいてみたけど、たしかに「一」って書かれたあの手帳が入っていた。手帳の他にも、二羽のおりヅル、地球や月に星のシール、星座の描かれた手書きの カードなんて物も。
「ごめんねアリサちゃん、ちょっと僕を持ち上げてくれる?」
「ん、いいよ。じゃあ、はい」
かけよって来たバロンを抱き上げる。フワフワの毛が腕に当たってちょっとくすぐったい。バロンも箱をのぞけるように澪が少し下げてくれた。四人固まって箱をのぞき込む。わたし達が見守る中で、コープが手帳を手に取った。
「前に見つけた「二」と「三」と同じ……。今度こそ、中を見れるかな」
手帳の表紙に手を置いて、ゆっくりと開いていく。三つそろったからなのかな、今度は中を見ることが出来た。
「……。これ、は……。」
「あれ? 私は読めないみたい」
「澪も? わたしも、文字があるのは分かるけど、ぼやけちゃって見えない」
「僕もむりだね、ということは、コープだけ、読めてるんだろうね」
こん色のえんぴつで書かれてるのは分かるんだけど、読むことはできなかった。手帳を開いてから、彼は真剣な顔で手帳を読んでいる。今はそっとしておいた方がよさそうね。わたし達はなるべく音を立てないように、箱に入ってた他のものを見てみる。
「このツル、ちゃんと目が描いてある! かわいいー!」
「ん? アリサ、裏になにか書いてあるよ」
「え?」
「どれどれ?」
ツルを裏返してみるとつばさの部分に「いっしょに星をみれますように」ってかすれたえんぴつの文字が書いてあった。大きめでよれた、小学二年生ぐらいの時のクラスメイトの字みたい。多分これを書いたときは今より小さかったんだろうなぁ。
「これ、もらった物なのかしら」
「だと思うけど……、あげようとして渡せなかった物……だったり?」
「これは……写真……」
「……、読み終わったよ」
バロンが写真の切れはし? に手を伸ばそうとしたその時、手帳を読み終わったらしいコープがわたし達に声をかけた。もっと時間かかるかなと思ってたけど……。コープは落ち着こうとしているような、でもちょっと強ばった表情をしている。大丈夫かな……。
「えっ? 速いね、三冊あったけど……」
「んー、書いてある内容はそんなになかった。一ページに三行だけだった日もあるし」
「そっか。……それで、どうだった? 帰る場所は分かった?」
身を乗り出しておそるおそるバロンが聞くと、コープはゆっくりうなずいた。
「分かったよ、おれの名前も、帰る場所も」
「ほんと! よかったぁ、じゃあ家族に会えるんだね」
「うん、母さんと父さんにも心配かけてるから会いたい……、けど、怒られないか怖いな……」
「ふふ、大丈夫だよ、心配して怒るってことは、それだけ大切に思われてるってことだからさ」
澪がにっこり笑って断言する。その言葉を聞いてコープも少し笑顔になったみたい。よかった、一安心ね。後はこの後どうしようかってことなんだけど……。このままここで話すか、それとも一度帰るのか。
「ここに来てからまだそんなに時間も経ってないし、もう少しゆっくりしてから帰ろう。もちろん コープがいいならだけどね」
「あー……うん、大丈夫。自分の部屋を見られるのは……はずかしいけど」
「もう調べることはしないから、安心して」
「うんうん! あっ、どこ座ればいいかな」
「えっと……」
歩きっぱなしの立ちっぱなしだったことを思い出して一度休けいをはさむ。コープとバロンはベッド、わたしは勉強机のいすに、澪はカーペットに置いたクッションに座る。
チラッと見た机の上には、教科書にノート、筆記用具などなど……。わたしの机にもあるような勉強道具が置かれている。見覚えのある教科書はわたしのと同じもの、ってことは同級生なのね、彼。
「あ、そうそう! 手帳の中身については聞かないわ」
「えっ、気になってたんじゃないのか?」
「なってたわよ? でも今は読まれたくなさそうだから……ね!」
なんで? って顔のコープ。自分を思い出す前はともかく、今はさりげなく中のページをかくす様に持っているからね。、中身を見られたくないんだと思う。わたしが気付いたのなら、澪もバロンもとっくに気付いてる。気付いてないのは本人だけね。
「わたしも、自分の日記の文とか、あんまり見られたくないから」
「嫌だったらちゃーんと嫌って言ってよねー」
彼はポカンとした顔で固まってたけど、バロンがポンポン足を叩くと動き出した。そのまま見せるのは嫌だけど、ざっくりと教えるならいいらしい。
手帳はどれも三年ぐらい前に書いていたもので、内容はほとんどが日付とその日の楽しかったこと、近所のお兄ちゃんと話したことの二つだったんだって。もっといろんなこと書いてるのかなって思ってたけど、そうでもなかったみたい。
「えっと、あー、まずは名前か。おれは夢橋望。あらためてよろしく」
「おー! 望ね、よろしく」
「うん、あー、でも、うん。あんた達にはコープの方で呼んでほしい……かな」
「そう? じゃあ君がいいならこれからもコープって呼ぶね」
「ありがとう」
本名の方がいいのかなって思ったけど、今まで通りの呼び名でいいのね。ふとバロンの方を見るとうれしそうに笑っている。確か、コープっていう名前を付けたのはバロンだったっけ。よかったねの意味を込めて笑顔でバロンを見ると、顔をかくされちゃった。
「えー……っと、どこから? 何から話せばいいんだ?」
「んー、じゃあ、わたしと澪みたいに、地球から来たのよね?」
「うん、あってる。でも二人みたいにレンズを使って来たわけじゃない……とおもう」
「え、違うの?! でもバロンはコープのレンズを持ってたけど……」
澪が今使っているレンズは、初めてバロンにあった時に彼から借りたもの。それも元々はコープが持っていたって聞いてたからこれにはビックリ。じゃあどうやってここに来たのかしら。
「持ってただけで、使ってはない? かな。正直に言うとよく覚えてないんだ」
「来る前のこと?」
「そう。ただ、起きているはずなのに、ずっと寝ているような気もする」
どう言うことなんだろう……? 起きてるのに寝ているなんて……。
「んー、なんか似たようなもの、寝ているんだけど起きてるっていうのがあったような……」
「それじゃあ、ここは夢ってこと? わたし達は、同じ夢を見てる?」
「そうだなぁ、夢だって分かる情報があればなぁ」
ここでは物をさわった感触も、聞こえる音も、味も、匂いも、全部はっきりしている。夢を見ている時のことをいつも覚えてないから微妙だけど、思い出す夢はどれも実感なんてなくて……。だからわたしはきっと、ここが夢だと思いつつも現実みたいに感じてたんだ。
「たしかに誰かの夢かもしれないけど、そうなると僕らはどんな存在になるのかな……」
「バロン……。私は、夢も一つの世界だと思うんだよね」
「世界? 澪、どういうこと?」
「ほら、夢って現実じゃあり得ないようなことが起きるでしょ。で、夢を見てる間は、私達は違和感なくその中に溶け込んでる。じゃあそのときの私にとって、見ていた夢は自分の生きている世界になるのかなーなんてね」
「生きている……」
空気を明るくするような声音の澪の言葉に、考え込んで下を向いていたバロンは顔を上げる。今の話を聞いて、彼が何を思っているのか……、人付き合いの苦手なわたしには分からない……。それでも、なんだかんだ言ってここでみんなとした体験は、わたしにとってとても 大切な思い出。
「たしかに、わたしも、これは夢じゃないのかもって、みんなでススキだんごを食べたときに思ったわ。おいしくて、いつも家で食べるおやつと変わらなかった」
「手帳を見つけるまで……いや、アリサと澪に会うまでは、この月が自分の生きる世界だって考えていた。この世界で生きている、バロンやラップル達と同じ」
「みんな……、ふふっそうだね。僕は今、ここで生きてるんだから、ここが僕の……。心配させ ちゃったみたいでごめんね、ありがとう」
わたし達の目をしっかり見て笑う彼に安心して、ホッと息を付いた。言いたいこと、うまく伝えられるか不安だったけれど、ちゃんと言えてよかった……。
ここで一度話を戻して、レンズが何なのか、コープが思い出した今レンズのことを何か知っていないかについて聞くことに。
今澪が使っているレンズはバロンから借りたもので、それも元々はコープが持っていたもの。それなら、彼なら何か知っているかもしれない。
「アリサのは望遠鏡から出てきたんだけど、このレンズはバロンから受け取ったものなの」
「オレはこのレンズを知ってる。というか持ってた。でも望遠鏡についてたわけじゃないぞ」
「え? じゃあ望遠鏡はなんなんだ?」
「知らない。小さい頃に行ったキャンプで、迷子になってた女の子にもらったことは覚えてる。その時もレンズだけで、最初オレはただのきれいな石だと思ってたし」
てっきり望遠鏡にも何かあるのかと思ったら……それは関係ないのね。コープもこのレンズの不思議な力には気づいてなかったみたいで、わたし達と同じ様に驚いていた。うーんこれの情報は何もないのかしら……。
わたしが考えてる間にも、コープの話は続いている。
「のぞいてみたら遠くのものがよく見えて、偶然同じものを拾っていた月也と一緒に、よく。夜空をのぞいてたんだ」
「その時はなにもなかったの?」
「なかった……、あー、このレンズだけで月が大きく見えるのは、おかしいかもしれない」
「あ、そこはやっぱりおかしいんだ」
「あー、虫めがねで月は見ないもんね」
望遠鏡の仕組みとかよくわかってないけど、そういえばレンズが二つはあったなぁ、元々あの望遠鏡は関係なかったのかも。
んー、わたしが持ってるこれも同じなら、いったいどこから来たのかしら。作られた物……よね、どっちもすごくきれいだし。
「もし本当に夢なんだったら、ここはオレの夢……、だろうな」
「あ、やっぱり? ゲームのお宝みたいにコープの手帳が置いてあったから、あれ? ってなって さー」
「今思うと、スッゴク分かりやすい。わたし達が行った先にたまたまあったのとか、ゲームみたいって思った」
「なんとなく、この月はおれと月也、さっき言った近所の兄ちゃんと考えた月によく似てる」
「そうなの? じゃあウサギの里とかどうくつとか、もしかして知ってる?」
「うん、里とか街とか、他にもたくさん。二人でこんなのがあったらいいな、楽しいんじゃないかってたくさん話して、手帳に書いたんだ。ここは話してた内容によく似てる」
コープの話を聞いて、何となく分かった気がする。バロンはもちろんウサギ達も、カニ吉さん達もレジーさんも、この月で会った人たちはみんな暖かかった。
今思い出すと、どうくつも海も危ないことは少なかったと思う。最初は危ないって思ったところも怪我なく進むことができたし。怖かったしハラハラしたこともあったけどね。
そっか、この世界が優しかったのはコープが作った世界だからなのね。
「……コープ、ありがとう。迷い混んだのが優しいこの世界でよかった。楽しかったわ」
「……うん、そう言ってくれると、オレもあいつもうれしい」
うれしさが見て分かる様な、コープのにっこりした笑顔。初めて見たはずなんだけど、あれ? なんか見たことがある気がする。
「……ねぇ、前にわたし達会ったことある?」
「えっ? どうだろう……、分からないな」
「そっか、気にしないで。わたしも分かってないから」
きっとどこかで見た気がしたのはバロンの笑顔に似てたからかも。バロンと一緒にいたものね。そういえば、澪とバロンは? 会話に入ってこなかったけど……。
「こことかどうかな、「静の海」とはまた違った海だし、近くにバラやユリが咲く花畑があるんだけど」
「おぉー! そこもいいなぁ、でもやっぱり魔法もみたい!」
「いっぱい悩んでいいよ。アリサちゃんとコープにも聞いて見たらどうかな」
「もちろんっ! ね、ね、二人とも、次はどこに行く?」
いつの間にか月の地図を見ながら話してた澪とバロン。話の内容的に次に探検する場所を決めてるんだろうけど、さっきの流れからどうしてそうなったのかしら?
澪がわたしとコープの前に地図を持ってきて、いくつかの場所を指差しながら説明してくれる。 うーん、わたしはこの村が気になるなぁ。
「オレからはこの街がオススメ。料理がたくさんある街がほしくて考えたところだから」
「料理!? 行きたい! じゃあこっちは……」
「僕はここが……」
「それなら……」
コープの部屋で話し始めて気付かないうちに大分時間が経っていたらしい。時計を見たバロンからそろそろ里に戻ろうって言われて、それぞれ荷物の忘れ物がないか確認する。一番近いところにいたわたしが部屋から出るためのドアを開け……ようとしたけどできなかった。手がドアノブをすりぬけたの。そっか、もう帰る時間なのね
「あれ、コープが薄くなってる!?」
「は、オレもなのか!?」
「よかった、コープもちゃんと帰ることができるんだ」
少しさみしそうで、ホッとしたようにつぶやくくバロンを見て、なんでだろう、胸がざわめくようなあせりを感じた。
いつもは帰るための現象だからあんまり不安に思ってなかった。でも今回はコープも一緒で、彼がちゃんと帰ることができることは素直にとてもうれしい。だけど、この世界がコープの見ている夢なら、彼が起きた時わたし達はまたここに来れるのかな。
ドアノブをつかみそこねた手から体が薄くなっていく。もう時間がないのね。コープの方を見ると、彼は薄くなった手を……、その先にいるバロンのことを見つめている。
「……、初めてバロンに会った時、何というか、また会えたっていうか、初めて会った感じはしなかったんだ……」
「え……」
驚いた声をこぼして固まるバロン。この話はわたしと澪は知らないことで、とりあえず邪魔しちゃわないように、わたしはそっと澪のとなりに並んだ
「なぁ、ちゃんとまた、会えるよな」
やっぱり同じこと考えてる。コープはバロンが知っているってわかってる? みたいだけど、どうしてなのかしら。
「大丈夫、またちゃんと会えるから、今度は三人そろって遊びにおいで」
「三人で、また会いに来る」
「私も! すぐにまた遊びに来るわ!」
「ん、いつも通りよね?」
「ふふ、そうさ。いつも通りにまた会おう」
わたし達の体はもうほとんど消えかけていて、音も聴こえづらくなってきた。眠くてしょうがない時みたいに目を開けられない。澪とコープも同じみたいで、二人はもう目をつぶって寝ちゃってる。
「みんなおやすみ。大丈夫。だって、この夢は僕の……」
まぶしい光を感じて思わず目を開ける。見えた天井はわたしの部屋のもので、帰ってきたんだって分かった。ショボショボする目をこすろうとして、右手を顔の上に持ってきた時おでこに固くてひんやりとしたものがふってきた。
「いたっ……。ん、ふぁ……。これ……よかった、ちゃんとある」
落ちてきたと思ったのは月に行くためには欠かせないレンズ。これが手元に残っているのなら、 また会えるわね。安心したらまた眠くなってきた……、いつも起きる時間までまだあるし、二度寝しちゃおうか。
「……、レンズは……、持ってていいか。おやすみ」
できることなら、楽しい月の夢がいいな。
《夏休みが終わって……》
筆箱と連絡ノート、それから下じき……、後必要なのは……そうだ宿題、一番忘れちゃいけない物。忘れ物が無いように確認しながら、一ヶ月ぶりにランドセルに入れていく。
長いと思った夏休みはあっという間に終わってしまった。夏休み中は澪と遊んだり、家族で遊びに行ったりして楽しい思い出がたくさん。夏休みの絵日記もすらすら描けた気がする。後は、絵日記に描くことはできないけれど不思議な月を探検して、友達もできたこと。
それにしても……バロン達は元気にしてるのかな……。
最後の手帳を見つけて、コープも自分の家に帰ることができたあの日から、わたしも澪も月に行くことができなくなった。どうしてなのかは分からないけど、きっとレンズの縁に入ってた模様が消えちゃったからだ、って澪と話した。合っているのかは分からないけどね。
このままバロン達とお別れなんて嫌だ。彼は三人そろってまたおいで、って言ってた。それなら きっと……。
「アリちゃーん、澪ちゃんが来てるわよー」
「! はーい、今行く」
ランドセルを背負ってボウシを被ったら準備は終わり。とりあえず、先に今日の始業式を乗りこえよう。
キンコンカンコーンと聞きなれたチャイムの音がひびく。暑い体育館での始業式も終わって、すずしいクラスに戻った後。教卓の前に立った、担任の天音先生がパチンと手を叩いた。話し声でさわがしかった教室が少しずつ静かになっていく。静かになったわたし達を見渡した先生は、にっこりと優しい笑顔になった。
「皆さんおはようございます! 夏休みも終わって、今日から二学期が始まりますね。まだ夏休みだと間違えて、明日お休みしてしまわないよう気をつけてください。さて、学活を始める前にこれからみなさんに大事なお知らせがあります」
お知らせ? 何だろう……。教室中が少しざわめく。このお知らせは良いのか悪いのかどっちなんだろうって。でも先生の顔は変わらず笑顔だから多分良い方だと思うなぁ。
「実は、このクラスに転校生の子が来ます!」
「転校生?!」
「せんせー! 男の子? 女の子?」
「転校生なんて初めてだねー」
教室中が一気にわいわいガヤガヤとさわがしくなった。わたしもちょっとソワソワしちゃうし、前の方に座ってる澪も、好奇心を押さえきれない顔になってる。
「はいちゃんと話は聞きましょうね。なれない所に来て大変だと思います。なので、困っていたら助けてあげてくださいね」
先生からのお願いにクラスのみんなで返事する。どんな子何だろう、わたしみたいな性格だったら……わたしもがんばってみようかな。
「それじゃあそろそろ呼びましょうか。待たせてごめんなさいね。さ、入っておいで」
教室の前の方のドアを先生が開けた。パタパタと上ぐつで歩く音が聞こえてきて、教室にいるみんながドアの方を見てソワソワしている。
最初に見えたのは、所々ハネた夜みたいな黒い髪。この時点でもうなんとなくあれって思ってはいたの。すぐに思い違いだって思い直したんだけどね……。教たくの横に立った彼がこっちを向いて、わたしと目があった。日が沈む直前の深い青色の目、わたしに向かって小さく
笑ったこともそう。やっぱり彼は……。
「それでは、自己紹介をお願いね」
「……はい。すぅー……、ふぅー……。初めまして、夢橋望です。どうぞ、よろしく」
《これからも月をめぐる》
ベッドに座って窓を見る。カーテンを開けた窓からは、優しく光る真ん丸のお月様。夏休み中何回もしたように、縁に模様の入ったレンズで月をのぞいた。
まぶしい光に目を閉じて、お尻で感じていたやわらかくて暖かいふとんが冷たくて固い地面に変 わったところで目を開ける。もう十何日も前に作った目印と先に来ていた澪が目に入る。
「ごめんおまたせ」
「大丈夫よー、よっし行こうか!」
「うん、行こっか」
初めてここに来たときみたいに手をつなぐ。手のひらに伝わるあったかさにホッとしながら、里までの道なき道を歩き出した。
「あっ、アリサちゃんに澪ちゃん、いらっしゃい」
「やっと来た、遅かったな」
「む、コープが早いだけ」
「ねぇねぇ、今日はどこ行くのー?」
コープの側に行って、彼からススキだんごを一個もらう。ワクワクが押さえきれていない澪がピコピコウサ耳を動かして地図を広げた。
リードさんとかレジーさんとか、とにかく色んな人に聞いて作成中のわたし達の月面地図。「ウサギの里」にはウサギマークが付いていて、他にもオオカミにカニやクラゲ……わたし達が実際に行った場所には分かりやすいようにシールをはっ付けている。まだ場所の名前しか書いていない所ばっかりだけど、いつかこれをシールだらけにしちゃおうっていう約束もした。
「そうだねぇ、こことかどうかな」
「いいんじゃないか?」
「わぁ! いきたい行きたい! そこってあの子が言ってたとこでしょ」
地図を囲んでみんなで行き先を決めていく。こんなこと、初めて来た時は全く予想してなかった。澪と迷い来んで、バロンとコープにあって、一緒に月をめぐって……。わたしも彼みたいに変わることができたかな……ううん、多分できてる。怖がっていたわたしがみんなとこうやって話し合って、次の探検に行くことにワクワクしているんだもん。
「この月はバロンとコープの思い出で、二人のワクワクがつまった場所。なら、わたしも楽しまな きゃそんだよね」
「なぁにぼそぼそ言ってるの~? ほれほれ行くよアリサ」
「何か気になることでもあった?」
「なんだ、怖いのか?」
「どこに怖がる要素が? ふふっ、大丈夫、行こ」
のぞき込んでくるコープの背中を押して、様子を見に戻ってきてくれた澪の手を引く。先に外で 待ってくれているバロンに声をかけたら、楽しい楽しい月めぐりの始まり始まりね。
おしまい